光を見つめる
2016 / 09 / 06 ( Tue )
雑草と呼ばれている植物は、種を蒔かなくても、土のあるところはもとより、
アスファルトの隙間ですら根をはり、グングン育つ。
害虫にも負けずに、どんどん勢力を伸ばして成長する。

でも、温室の植物は、少し温度や水の量が変わったり、病気や虫が発生したりすると、
すぐにダメになってしまう。
以前成功した方法で育てても、土壌や天候や災害、はたまたその年の苗の性質など、
ほんのちょっとした条件の違いで育たなくなってしまうらしい。

専門家が全身全霊を掛けて育てても、植物ですらうまく育たないことがある。
ならば、人を育てることはなおさら…だろう。
子供の性質や親の性質、親との相性、生育環境…などはもちろん、
他にも、どんな学校に通うか、どんな先生や友人に出会うか、
どんな職場でどんな仲間に出会うか、どんな人生体験に出会うか…。

「もしあの時、あのことがなければ、自分の人生は変わっていたに違いない」
という経験をした人は少なくないだろう。

私もそうだ。
「あの時、一歩間違ったら、荒んだ人生を歩いていたかも…」
と思う岐路はたくさんあった。
ただ幸いなことに、私の周りには、大変な時に「何気ない形で助けてくれる人」がたくさんいた。
そうした人たちは、「批判」や「叱責」をせず、心に寄り添い、認め、支え、光をあててくれた。
それをきっかけに、自分自身もたまたま「方向転換を決意できた」から、
今の人生を送っているのだと思う。

高畑親子の報道を見ていて、
「この事件の根っこは、今、たくさんの親子が抱えている問題と同じ。『
親の育て方が悪い』のではなく、むしろ、
『一生懸命過ぎるくらい子育てに手を掛けてきた熱心な家』に起こりがちな問題だ」
と感じた。

教育熱心な親であればあるほど、
「どうやって、どこまで愛情を掛ければいいか」
「どこまで厳しくすればいいか」
「どこまで自立を促し、どこをサポートすればいいか」
「どうやって、自分と相手を信じていけばいいか」
というバランスのとり方に日々悩み、迷走する。

その結果、たまたまうまくいかないと、親子共に自信を失ってしまう。
さらにそんな時に、批判や叱責の言葉を浴びせられ、追い詰められると、
心はボロボロに傷つき、ますます自信を失ってしまう。

自信を無くしたり、傷ついたりすると、人は問題を起こしがちになる。
「ますます必死にがんばりすぎて、かえって周りとの摩擦が増える」
「認められようと、過剰な行動を起こしがちになる」
「ストレスが溜まって、爆発しやすくなる」
「自分がされたことと同じ事を(時に、パワーアップさせた形で)、他人にする」…。

「人を傷つけてしまう人」というのは、実は「人から傷つけられてきた人」なのだ。

だから、問題を起こした人を「批判、叱責」し、「強制的に従わせる」ことだけで
問題を解決しようとするのは、根本的な解決にならない。
むしろ、「批判や責めの言葉」が、知らず知らず「言葉の暴力」となって、
窮地に立たされた人をさらに追い詰めて、さらなる不幸を招きかねない。
言葉の暴力は、身体的な暴力と同様、人を深く傷つける。

ただ、もしかすると、「批判、叱責する人たち」もまた、ずっと「批判、叱責されてきた人」で、
それ以外の解決方法が見つけられないのかもしれない。
そして、失敗した人たちを批判し、責めることで、「起った問題」を自分と切り離し、
「自分は、あの人たちとは違う! あんな風には絶対ならない!」
と思い込むことで、自分自身を守ろうとしているのかもしれない。

誰かを傷つけると、相手に一生消えることのない傷を負わせてしまうことがある。
それだけでなく、関わりのあるたくさんの人の心にも傷を残してしまう。
さらに、「傷つき、傷つける」という負の連鎖が続いてしまうと、数え切れないほど
たくさんの人が不幸になる…。
そして、なによりも、自分自身の「心と体と魂」が深く深く傷つくことになる。
だれも、幸せにならない。
だからこそ、「人を傷つけてはいけない」のだ。

失敗をした時、大きく道を誤った時、その後に「より佳き道、佳き方向性」を
探し出すことはとても難しい。
でも、闇に出会った後、「闇だけを見つめ続けていくのか、
光に焦点を当てる努力を続けるのか」で、その後の人生は大きく変わってくる。
大きな闇に出会った人は、必ず、それを包んであまりある大きな光を宿すことができる力も
持ち合わせている。

「批判」は闇を強め、「理解」と「信頼」は光を大きくする。
すべての人々が幸せに向かうためには、難しい道ではあるけれど、
「批判や責めの言葉」は少し横に置いて、「新しい佳き道筋に光をあてられる言葉」を
探していきたい。

高畑親子がこの先、この問題を乗り越えて、同じ様な問題を抱える人々の心に
光をさす存在となり、たくさんの犯罪を未然に防ぐことに貢献できたなら、
それは何よりの「贖罪」になると、私は信じたい。



≪柴犬ゆめ菜日記≫

最近、純子姉はスーパーなどで怪しい行動をしている。

…なんと!
周囲の様子をこそこそ伺いながら、こっそりダストボックスを物色しているのだ!
まるで、コンビニの期限切れ弁当や資源ごみを物色しているおじさんのよう…。

なんで、そんなことしてるかっていうと…。
ジャーン♪

それは、私のために、ガチャポンの空カプセルをゲットしているのでーす♪

ガチャのカプセルって、メッチャ楽しいのよー♪
かじりやすいし、不規則な動きで跳ねるし、なにより、
かじり方によってパカッとカプセルが開く瞬間がゾクゾクして、たまらなく楽しいのよねー!

「やったー!! 開いた―。バラバラに分解できた~! 
分解できたから、ゆめちゃんの勝ち~♪」
って、狂喜乱舞して遊んでます♪

ふふふっ♪
純子姉の目には、そんな風に遊んでいる私が、キラキラうきうき輝いて映って、
「かわいい~♪」
って思ってるに違いないわー。

だから、ついつい「恥ずかしい」っていいながら、
懲りずにガチャポンのカプセル回収箱を漁ってるのね。
ああ、私って罪作りな女~。
可愛いって、罪な性質ねー。

しかし、医者のくせに、ガチャポンのカプセルを漁る人って、なかなかいないわよね~。
…っていうか、人間、おばさんになるとズーズーしくなるっていうか、
恥も外聞もなくなるっていうか、逞しくなるっていうか…。
わが姉ながら、よくやるわー。

ケチケチせず、カプセルトイくらい買えばいいのに…。
でもまあ、お蔭で楽しませてもらってるんだから、文句は言えないわね…。
純子姉、今後もポケモンならぬカプセルゲット、よろしくね!

純 「もうちょっと優しく遊んで下され! 2日に1コのペースでカプセル壊して
バラバラボロボロにするのは誰よ!
空カプセルゲットのために、カプセルトイを買ってたら、いらないトイばかり増えちゃうじゃない!
だから、恥ずかしさを忍んで、回収箱を漁ってるんでしょうがっ!! 
親の心、子知らずなんだからっ!」 

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

10 : 24 : 58 | ひとりごと | page top↑
身体の不思議
2016 / 08 / 07 ( Sun )
「突発性難聴」は薬がよく効いて、ほぼ日常生活には問題ないレベルに完治。
やっぱり大量ステロイドの威力はすごい!!

それ以上にすごかったのが、ステロイドを飲んでいる時の身体の変化!!
いやあ…まるで、他人の身体に住んでいるような錯覚に陥るほど…。
何十年もの間、自分の身体と付き合ってきて、
「私の身体は、必ずこう動く。他の人の身体では違った動きをすることもあるらしいけれど、
私の身体はそんな風に動くことは絶対にない!」
と信じ切っていたのに…。
その意識が、完全に根底から覆される程、今まで経験したことのない違う感覚、
動きを身体が始めたのだ!

まず、全身の細胞一つ一つが終日フルマラソンをしているような感じになり、
体重がどんどん減ってきた。夏場は必ず冷え症に悩んでいたのに、体温が上がり、
手足はぽかぽか状態に! 苦手だった朝も、どんどん早起きになり、
5時には元気はつらつフル活動を開始!
食の好みもガラッと変わり、今まであまり食べなかった食材が食べたくなったり…。

さらに、ステロイドに身体が慣れてくると、今度は、いつもより運動量は増えて、
なおかつ摂取カロリーは少ないのに、どんどん体重が増えてきた。
しかも、今まで脂肪が付いたこともないようなところに、どんどん脂肪が付いてくる。
胃腸の動きも、今までと全く違う動きをする!
そして、心までも「全てテキパキちゃっちゃと行動したい!」と、せわしなく動きがちに…。

しかも、食生活や気持ちの持ち方などをいくら工夫しても、
いつもの自分らしい心と身体の動きに戻すことができないのだ。

「いやあ…身体そのものは同じでも、ステロイド(ホルモン剤)の量一つで
身体の働きはこんなにも大きく違ってくるのか~! 」
と、実体感すると同時に、
「人にはそれぞれに特有のホルモンなどの体内バランスがあって、
それによって『早起きが得意』『夜が得意』『太りやすい』『痩せやすい』…など、
その人特有の身体の性質が生まれてくるのかも…。
また、どんなに自己コントロールしようと思っても、
ホルモンバランスが変化している状態には太刀打ちできない。
自己調整できることに限界があるのは『自然の摂理』なのかも…」
と思った。

ちなみにホルモンバランスは、いろいろなストレスや年齢的な変化などでも大きく変わりやすい。
つまり、大変なことが重なった時や年齢の節目などに、思うように動けないのは、
実は、ホルモンのバランスが大きく変化したため…ということも多々あるに違いない。
風邪をひいて、高熱が出た時には動きたくても動けないように、
「ホルモンバランスが変わると、自分の意志に関わらず、思うように身体が動かないこと」
もあるのだろう。

だから、どうにもこうにも動けない時には、「なぜ? どうして?」「もっとがんばら
なきゃ!」と、あまり自分を追い詰めたりせず、
「ああ…。よくわからないけど、身体が動けない時期なんだな。仕方ない。
できる範囲で最善を尽くせれば十分だよ」
と自分に声を掛け、その時の自然に動く身体に任せて、動ければ上出来なんだと、
あらためて身体と薬に教えられた気がした。

ちなみにこうした症状はすべて、薬が切れたらきれいさっぱり全部無くなった!
ホルモンの力、恐るべし!

他にも、耳鼻科で聴力検査をして発見したこともある。

何かに気を取られて頭がいっぱいになっていたり、
ストレスやパニックなどで心が乱れていたりすると、
簡単に20~30dBくらいの軽い伝音性の難聴(内耳は正常だけれど、
音を伝える機能が落ちるタイプの難聴)になるということ。

…だとすると、たぶん、
「聞きたくない!」
と思う状況が周りにたくさんあると、知らないうちに身体が「聞こえにくい状態」を
作り易くなる。そして、そういう状態が長く続くと、身体に「難聴」の癖がついて、
本当に難聴になる…ってこともあるに違いない。

身体というのは、本当に不思議なものだ。
意識的にコントロールして動かせることもあれば、無意識にコントロールして
動かされることもある。
そして、自分の意識とは関わりなく、年齢や身体のリズムや持って生まれた性質などで、
知らないうちに、自然に動かされていることもある。

「生きている」って奥深い営みだわね。



≪柴犬ゆめ菜日記≫

最近、今まで食べたことのないようなステキなおやつを何回かもらったの♪
レアチーズケーキに、牛骨に、アイス…etc。

でも、どういうタイミングで「スペシャルなおやつ」が戴けるのか、わからないのよねぇ…。

姉たちの昼食後に貰えることが多いような気がして、昼食後を見計らって、
「おやつの時間でしょう? おやつ頂戴! おやつ頂戴!」
と騒いでみたんだけど…。

「ゆめちゃん、腹痛?!」
と勘違いされちゃった…(@o@)

うきうきニコニコ跳ね回りながら吠えてるんだから、お腹が痛いわけないでしょ~!
お蔭で、炎天下の中、トイレ散歩に連れ出されて汗だくになっちゃったわ。ぷんぷん!
あー、犬語が通じないって不便~。

ちなみに、その次からは、「おやつ♪おやつ♪」ってコールすると、
「うるさい!!」と一喝されるようになっちゃった…。
ガッカリ…(ToT)

でも、それでメゲるゆめちゃんじゃないもんね~。
次は、「満面の笑顔作戦」を決行よ♪
姉たちがおやつをくれそうな雰囲気の行動をした時に、すかさず、
花のような満面の笑みをパーーッと浮かべながら、ちょんちょん跳ねして、
「新しい変わったおやつが出てくるんでしょー?!」
というオーラを出してみたの♪

結果は…。
まあ…珍しいおやつは出てこなかったけど…。普通のおやつは、時々もらえたわ。
作戦、少しだけ成功…ってとこかしら…。

それにしても、うーーーむ…。
あの変わったおいしいおやつは、いつ、どうやったらもらえるんだろう??
今度は、「ヘソ出しアピールダンス」でもしてみようかちらん…♪

そして、私の「おやつもらい研究生活」はまだまだ続くのだ!


 純 「この間は、ゆめちゃんのお誕生日だったから、たまたまチーズケーキ作ったんだよ。
その後も、食事に行ったら、たまたま牛骨が付いていたから、お土産に持って帰っただけ。
あと、たまたま大量に豆腐を戴いて、もてあましたから苦肉の策で豆腐アイスを作ったり…。

本当にたまたまラッキーが重なっただけだから、ゆめちゃんがどんなにがんばって努力奮闘しても、
ご褒美に「変わったおやつ」が出てくることはありませ~ん!」 
10 : 50 : 43 | 心とからだ | page top↑
学びは続くよ、どこまでも…♪
2016 / 07 / 06 ( Wed )
商売柄&自分の人生哲学の嗜好柄、普通の人よりは、
心と体に優しい生活を追求してきたつもりだったけれど…。
お年頃の身体さんは、「もっとギアチェンジをして欲しいなー」と思っていたらしい。

なんとなんと、突発性難聴にかかってしまった!
症状が軽く、日常生活には問題ないレベルだったのは幸い。

しかし、実際に「患者目線」になって、知らない大病院に行ってみると、
発見することが多い多い…。
病院全体が、広すぎてどこが何だか分からないやら、
今時のハイテク受診システムにはびっくりするやら、
案外、お医者さんや看護師さんの指示の意図がわかりにくいやら…。
見慣れた病院の風景も、視点が変わると本当に違ったことが見えてくるものだ。

そして、何より痛感したのは、やはり患者の立場は弱い!!ってこと…。
いろいろ理解している私でも、医者から「検査や治療は、こうしてこうやって…」
といわれると、ついつい言われるがまま「はい。はい」と返事をして、
フツーの患者さんのようにオロオロした気分&思考回路になるのだから…びっくりだ!

特に考えさせられたのは、
「聴神経腫瘍の可能性もあります」
と言われた時の事。
「そういや、そういう可能性も高いんだった! もしそうなら手術かー! えらいこっちゃ!」
と一応、人並みに十分慌てた。

でも、そこは元ホスピス医。しばらくしたら、我に返り、
「病気って、自分の中の大変を一番引き受けてくれている所。
身体は病気を通して、何か訴えたいことがあるはず。
中でも腫瘍は、半分グレかけた自分自身。グレかけた人ほど、愛情をかけることが必要。
切り捨てて終わりっていうのは、やっぱ違うよなー。
うん! そうだ! 腫瘍であろうが、ただの突発性難聴であろうが、関係ない!
病気は自分の大切な一部! ここでとことん、愛して、ケアして、共に生きてこそ、
今までの生き方を自分の体と人生を通して集大成&体現できるってもんだ!
もう一回、しっかり、人生の後半戦にふさわしい自分に優しい生活を考え直さなくちゃ!」
と思いたつことができた。

でも、普通の人は病気になったからといって、急にそんなところまで考えられないだろう。
そうなると、医者の言葉を鵜呑みにして、右往左往するのは仕方ないことだなあ…と
あらためてつくづく思う。

それにしても…。
いやー、私よりはるかにご年配の方々が、こういう大変かつ、
分かりにくく面倒くさい病院受診&治療をこなしているのかと思うと、あらためて頭が下がる…。
炎天下の中、何時間もかけて毎日通院なんて、それだけで逆にどんどん病気も悪化しそう…。
それに、内服薬の管理なんかも、お年頃の初心者病人にはめちゃ大変!
薬なんて飲み慣れないから、しょっちゅう飲み忘れそうになる。
薬剤師さんが一回ずつ朝昼晩、薬をまとめて分包してくれるっていうのが、
いかに有りがたいシステムなのか、身に染みて痛感するわ…。

ところで…。
片耳だけ不自由になったお蔭で、
「『音が聞こえる』というのは、こんなに素晴らしいことだったのかあ…!!」
ということにもあらためて気づかされた。

それまでは、「ひまわりの向かいの道路の騒音がメチャうるさい」とか、
「家の真裏の工事はうるさい」としょっちゅう思っていた。
でも、よくよく考えてみたら、立場が変わって、地震で家が倒壊した地域に住んでいたとしたら、
「ああ、車の音がする。道路が通って救援物資が来るんだわ。ありがたい!」
「家を建てる音って、『新しい日常が取り戻せる♪』っていう幸せの音ね」
と感じ、騒音とは感じないだろう。

音は音でしかない。
音に「騒音」というレッテルを貼っているのは、自分の心なんだわね~と、
あらためてしみじみ感じたり…。(でも、うるさいものはうるさいけどさ。笑)

なにより、一番痛感したのは、この世の中に溢れている美しい音の数々。
鳥の声、雨だれの音、木の葉の葉ずれの音、せせらぎの流れ…。
聞こえにくくなってみると、すごく素敵な美しい音でこの世の中は溢れていたことに
気が付いた。
こういう幸せな音を意識せず、ありがたみも感じずにいたのは、実に実にもったいなかった!

世の中、大変なものを見ればきりないけれど、
それと同じくらいステキなものもたくさんたくさんある。
どうせ一日を過ごすなら、できるだけステキなもの、美しいもの、
幸せなものに五感と心向け、自分の人生の中に取り込んでいくことに時間を使いたいなあ…
と、今回あらためて痛切に思いなおさせられた。

「大変なこと」は嬉しくはないけれど、「大変」が起こった時には、
必ず、たくさんの大切なことに気づかせられる。
起こることは必然性がある。起こることは起こったままに受け入れ、
新しいスタンスを構築して行こうっと!

テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

09 : 57 : 50 | 心とからだ | page top↑
今ある幸せ
2016 / 06 / 05 ( Sun )
「レッド・ファミリー」という映画を見た。

あらすじは、
「北朝鮮の工作員たちが普通の家族を装って韓国に潜入。
反北朝鮮のレッテルを貼られた人々を密かに暗殺する使命を日々遂行していた。
しかし、暗殺対象になる人の中には、ごく普通の暮らしをしている夫婦や
小さな子供もたくさんいた。
さらに、平和で何気ない日常を生きる韓国の人々の姿を目の当たりにし、
工作員たちは心を大きく揺さぶられ、自分たちの生き方、人生への疑問を持ち始める。
そんな時、彼らにある過酷な命令が下されるのだが…」
という話。

北朝鮮事情がリアルに肌で感じられ、
「こういう状況なら、日本の拉致被害者問題がなかなか解決しないのも無理はない」
と、納得させられると同時に、今自分がどんなに幸せな環境で暮らしているのかを
あらためて痛感させられた。

私たちはごく当然のことのように、「こんな未来になったらいいなー」
「こんな生活をしたい」と夢を語り合う。
日々の暮らしの中に手に入れていないものがあったり、問題があったりすると、
「OOがあったら幸せなのに…」「こうなったら幸せなのに…」
と不満を漏らす。
実は、こうしたたわいもない会話ができることそのものが、
「平和でそれなりに満たされた日常」が約束されているからなのだと、
あらためて映画を見て実感した。

ところで…昔、医学生だった時のこと。
動物の解剖実習に先立ってラットを殺さなければならないことがあった。
教官から、「ラットの尻尾を持って、勢いよく机の角に頭を打ち付けて殺すように」
と指示されたものの、愛くるしい姿でちょこちょこ歩き回っている
無垢でかわいいラットの瞳を見ると、とてもそんな恐ろしいことはできず、
「人の命を助ける仕事に就くためとはいえ、
なぜ、生きている命を奪わなければならないのか!」
と怒りと悲しみで心がいっぱいになり、実習どころではなくなってしまったことがあった。

結局、同じグループの男子生徒が悪役を買って出てくれ、実習はできたものの、
辛い役目を他人に押し付けてしまった罪悪感にさいなまれ、
しばらくは毎晩のように「大量のラットに襲われて殺される」
というスプラッタ怪奇映画のような夢を見続けることになった。

日本も、ほんの少し前の時代には、命令されたら
嫌でも人殺しをしなければならない戦争時代があった。
現代でも、ペットブームの陰で、売れ残った子犬や子猫、
捨てられたペットを処分する仕事を生業とせざるを得ない人がいる。
また、食肉卸センターには、私たちが食用としている豚、鳥、牛の命を絶つという
汚れ仕事を引き受けてくれている人たちがいる。
そして、死刑があるということは、死刑宣告を言い渡す人、
実行する人がいるということでもある。

人生の中で、直接何かの命を絶たないで済むということは、
なんてありがたいことなのだろうか…。
ごくごくありふれた当たり前で平凡な日々を過ごせることは、どれほど恵まれていて
豊かで幸せなことなのだろうか…。

今、「あるのが当たり前」と思っている日々の暮らしの中に、
どれほどたくさんの恵みが満ち溢れているのかをあらためて考えさせられた。



≪柴犬ゆめ菜日記≫
最近、姉たちからよく、
「子犬の頃は、人見知りも犬見知りもせず、元気いっぱい、能天気だったのに、
大人になったら随分デリケートになったよね」
といわれる。

だって、
「きゃぴきゃぴした元気なギャル犬」とか、
「イケイケの軽いメンズ犬」とか、
「うるさい工事現場」って、大嫌いになっちゃったんだもん…。
それだけ、お知恵がついて、いろいろなことがわかって、賢くなったといって欲しいわ!

それに、メッチャ人見知りで、デリケートなのは姉たちだって同じでしょ!
同類の姉たちに、あれこれ言われたくないわ!

ところで、そんなデリケートな私の家の真裏では、現在、絶賛大工事中。
鉄筋の大きな家が建つらしいの。
大大大騒音の中、一人(一匹?)で留守番させられた日には、
怖くて気が狂いそうだったわ…。
お蔭ですっかり、お腹がピーになって、
ちょっとした物音でもビクビクするようになっちゃった…。
これがトラウマってヤツ?

私が、あんまり怖がって、ぐったりしちゃったものだから、
「ひまわり」に来院来客のない日は、姉たちと一緒に出勤できることになったの♪
ほんっっとに、助かった―!

地震の被災地の動物たちも心にトラウマができて、ちょっと揺れたり、
物が落ちただけでビクビクするようになったって聞くけど…。
その気持ち、わかるわー…!
しかも、被災地はどこに行っても揺れるから、逃げ場がないばかりか、
普段の暮らしよりもっと不便なのよね。

被災地でなくても、自宅以外に避難場所があるワンコなんてそうそういないでしょ?
そう考えると、私って、本当に幸せ者だわ…。

そればかりか、「ひまわり」の窓辺で留守番していると、いろいろな人たちが、
「わー、かわいいワンちゃんがいる―♪」
っていって、かまってくれるのよ。

普段散歩している時には、小さい子供連れのお母さんや
保育園児を連れた先生たちには避けられちゃうんだけど…。
ガラス越しだと、みんな安心してそばに来てくれるの♪

お蔭で、私は毎日ハッピールンルン♪
近所のみんなもハッピールンルン♪

これって、「災い転じて福となる」ってやつ?
ゆめちゃん、ずっと「ひまわり」の子になってもいいかも♪

(純「犬嫌いの人もいるかもしれないから、仕事の時はダメよ!」)
18 : 29 : 20 | ひとりごと | page top↑
災い転じて…
2016 / 05 / 05 ( Thu )
研修医を終えたばかりの一時期、熊本の市内に住んでいたことがある。
だから、熊本地震発生直後は、当時世話になった人々のことを強く心に思い浮かべた。

ただ今回は、心配する気持ちよりも、信じる気持ちの方を強く感じた。

たぶん、新潟中越や東日本の地震の時、知人たちがとても逞しくその場を乗り切り、
状況を受け入れ、新しい人生を歩き出すチャンスに変えていっていた姿を
たくさん見てきたからかもしれない。

当時、直接地震の影響を受けた人たちは、「苦しくて大変」という思いだけでなく、
「感動」や「幸福感」や「いろいろな人生の啓示」などもたくさん受け取ったそうだ。
そして、大変な出来事を大きな糧として、それぞれが人生を大きく動かしていった。
そしてまた、そうした人たちを支援することで、
やはり大きく人生が動かされた人もたくさんいた。

そんな人々の姿を通して痛感したのは、
「人々は歴史の中で、いろいろな形で幾多の壊滅的な打撃を受けながらも、
その度に支え合って、不死鳥のように甦ってきた」ということ。
人間の生きる力というのは本当に強い。

だから、きっと今回も、たくさんの人たちがこの出来事をきっかけに、大きく成長し
変化していくに違いない。

辛い出来事はなるべく避けたいと思うのが人心だ。
それでも、人は大変な出来事が起こってしまえば、それはそれで、あきらめて、
しぶしぶ嫌々ながらも受け入れ、それを礎にして、よりよい人生を築ける力を秘めている。

たくさんの人々が、災い転じて、大きな大きな福を掴めますように…。


≪柴犬ゆめ菜日記≫
私は雨の日の散歩が大っっ嫌い!
なぜかっていうと、レインコートを着せられるから!!

「いやいやいやー!! 
 レインコートなんて着ないもんーー!!
 だって、ロボットみたいに動けなくなるし、てるてる坊主みたいでイケてないんだもん!」
と逃げ回るけど、最終的につかまって着せられちゃうのよね…。

さらにさらに、足がびちょびちょに濡れるのもいや!
だから、水たまりができる道はしっかり記憶していて、
ぜーーったいに、雨の日はそこを通らないのよっ。

ただし、雨の日にバックの中に入って、抱っこでお出かけするのだけは楽しいわ。

抱っこで、周りを見ると、見慣れたいつもの道も、違って見えるのよ。
空がすっごく近くなって、地面がずーーーっと遠くなるの!
そして、今まで見えなかったものが、たくさん目に入ってくるのよ♪

「ネコさんや子供たちより、私の方が背が高―――い、気持ちいーい♪
 いろいろな人と目が合って、たーのしいー♪
 わお! 車って、大きなタイヤだと思ってたけど、小さいお家みたいなのね!
 桜や紫陽花やシャクナゲなんかのお花も、抱っこしてもらって初めて見えるのよ。
 姉たちがよく、『お花がきれい』っていうけど、確かにきれい!
 大発見がいーっぱい♪」

視点が変わると、今まで見ていた世界が、全く違った輝きで感じられるわ…♪
こういう楽しいことがあると、雨の日もス・テ・キ♪

10 : 41 : 42 | ひとりごと | page top↑
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