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ひときわあでやか
2021 / 04 / 16 ( Fri )
「コロナ前の普通の日常」のように、
「失って初めて、その存在のありがたさに気づくこと」
って、たくさんあるなあと、つくづく思う。
この春、さらにそれを痛感した。

近所の病院に、素晴らしい桜並木のトンネルがあったのだけれど…。
病院の経営母体が変わったためか、昨年、
まるで、針葉樹の並木のように、
バッサリ真っすぐツンツルテンに刈り上げられてしまった。

そのせいで、この春は桜のトンネルどころか、
申し訳程度にしか花が咲かず・・・。

並木道を通るたびに、
「こんなあられもない姿になっちゃって…。
痛くなかった? 可哀想に…」
とつぶやきまくってしまった。

たぶん、この近所の人たちは、私同様、知らず知らず、
あの桜にかなり心和まされていたんじゃないかしら…?

ただ幸いなことに、この界隈には、他にも少し足を延ばせば、
徒歩圏内にいくつかステキな桜のお花見スポットがある。

特に、運河沿いの桜は、早咲きの桜に始まって、八重桜まで、
いろいろな種類の桜が少しずつずれて咲き、
菜の花、芝桜、つつじなど、他の花も合わせて咲いて圧巻!
遠出をしなくても、十分お花見が堪能できる。

「きっと、この運河での花見も実は、
 当たり前の日常ではないのかもしれない。

 諸行無常…。
 何かが起こったら、失われてしまう可能性は
 すべてのものにある。
 今あるこの幸せに、あらためてつくづく感謝だなあ…」
と思ったら、今まで以上に、桜や菜の花をはじめ、
普段は気にも留めない、道端の小さな花々までもが、
とても美しく、ひときわあでやかに感じられたこの春…。
 
大変な時って、案外、
大きな気づきがいっぱい得られる時でもあるわよね。



10 : 41 : 50 | 未分類 | page top↑
プチ贅沢
2021 / 03 / 15 ( Mon )
「同じ飲み物でも、器が変わると味がかなり変わる。
 ワイングラスは香りが広がってとどまりやすく、
 鼻先がグラスの中に入るため、よりおいしく感じる」
とは知っていたものの…。
ワイングラスは、もっぱらお祝い事の時だけに使っていた。

なぜなら、ソコツ者の私にとって、
ワイングラスは足が長くて不安定で繊細なため、
普段使いなどしたら、簡単に割ってしまう自信があるからだ。

ところが、先日テレビで、
「底が分厚くて安定性がよく、ワイングラスに似た形状の陶器のカップ」
が紹介されていた。
ワイングラスと同じくらい、飲み物が美味しく感じられるとか…。

「いいなあ…♡
 これなら、私でも割る危険が少なそうだし…♡」
とつぶやいたら、ガラス作家をやっている妹が、
「売り物のグラスで、同じ様な形のものがあるよ」
と即答。

その一言で、すっかり話が盛り上がり、
「ステキな器を作って人に喜んでもらうのもいいけど、
 日々の自分たちの生活を潤すのも大切。
 コロナ自粛の中だし、たまにはプチ贅沢で、
 商売用のいいグラスをおろして、普段使いしちゃおう! 」
ということになった。

実際に飲み比べてみたら、
ホントに今までのグラスとは全く味が違う!!

500円くらいの安いワインが高級そうな味になり、
日本酒もふくよかな香りが…♡

…まあ、実のところは、高いお酒を飲んだことがないから、
比較はできないんだけど…(笑)
それでも、この味を知ってしまったら、少なくとも、
もう元のグラスには戻れなくなった。

その後は、新しいグラスで飲み物を味わうたびに、
「ああ、プチ贅沢っていいなあ…」
としみじみ幸せをかみしめている。

素晴らしき安上がりなハッピーライフなり…♡

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12 : 27 : 03 | 未分類 | page top↑
見方、考え方が変わると…
2021 / 02 / 16 ( Tue )
医療の発達で、昔は救えなかった命がいろいろな方法で
助けられるようになったのは素晴らしいことだ。

でもその陰で、今現在、全国の病院のスタッフたちは、
難しく、苦しい問題に直面しているに違いない。

「人工呼吸器に繋がれ続けている90代のこの患者さんは、
おそらく、この先、絶対に助からない。
それでも、今生きておられるから、人工呼吸器は外せない。
 もし、この人工呼吸器が使えていたら、
今日運ばれてきた40代の重症患者さんを
助けられたかもしれないのに…。
 人工呼吸器さえ空いていれば、助けられたはずの
前途ある若い命が助けられない…」

・・・というようなやり切れない現実を
日々、目の前にしているに違いない…。

誰だって目の前で、大切な人がコロナで重症化したら、
「何としても助けてください!」
と当たり前のように言い、可能な限りの治療を望むに違いない。

そうして、必死に助けられる命が増える一方で、
それに比例して、寝たきりのまま生き続けざるを得ない人々も、
確実に増えていく。

なんとか命はつなぎとめたものの、
日常生活ができる状態にまでには回復せず、
管だらけで寝たきりの状態で、生かされ続ける人々が
この先、どれだけたくさん増えていくことだろうか…。

それでも、意識がほとんどなさそうに見える患者さんでも、
何かしらの反応は必ずある。

そして、神様の目から見たら、
「いろいろな命の役割があるから生かされているのだなあ…。
 この人が今、呼吸をしていることで、
 こんなにもたくさんの人が影響を受けているんだ!!」
と思わされることも多々ある。

意味なく生かされている命はない。

それに今では、寝たきり生活になったとしても、
ALSの患者さんのように、パソコンを駆使して、
ベッドの中でもいろいろな活動ができる道も開けてきた。

…とはいえ、実際に、
管に繋がれ、意思疎通ができない患者さんが、
ズラズラズラっと何十人も、ベッドに寝かされて、
ベルトコンベアー作業のように、ケアされている状態を
毎日見続けるのは、なんとも悲しく苦しく辛いものだ。

そんなこんなの病院事情に思いを馳せて、
コロナが流行し始めた昨年春くらいから、
私は、健康保険証の裏に
「蘇生処置、人工呼吸器等の機械装着不要」
と明記している。

人生も後半戦に入って、
そろそろ終活も視野に入れて生きる年代になった私としては、
コロナであれ、事故であれ、
「治る縁があれば、治るがよく候。
 死ぬる時節には、死ぬがよく候」
が一番の幸せだと思っている。

私のような考えの人にとっては、
「コロナで自宅療養中に死亡」
という結果になったとしても、
それは不幸ではなく、むしろ幸いに感じる。

「人間、何かの形でいつか寿命が尽きるのならば、
 そういう形の旅立ちもアリ。
 上手く低酸素状態になって、あまり苦しまなくてすんだら、
老衰で、家でポックリ…と、そんなに変わらない旅立ちだわ」
と思うからだ。

「自分のためにも、周りの人のためにも
コロナに罹らないように、最大限、出来る限りの予防対策はとる。
 それでも罹ってしまった時には、
 治る縁があれば、自宅でおとなしくしていれば、自己免疫で治る。
 治らなかったら、「それが自分の寿命だったんだ」と思えばいい」
という生き方もアリかな…と思う。

人生も物事も、考え方や見方一つで、
ある人から見たら不幸そうに見えることも、
案外、本人にとっては「幸せ」なこともあるのかもしれない。
…としみじみ思う今日この頃。



16 : 35 : 32 | 未分類 | page top↑
その時々の花
2021 / 01 / 14 ( Thu )
いまだかつてない新しい年のスタート。
…ということは、いまだかつてない素晴らしい発見がある…かも⁈

最近しみじみ、
「その時、その瞬間の、その人だからこそ、
最高のクオリティで出来ることがある!」
と強く思う。

世の中の人たちの多くは、
実は、自分が思っている以上に、
「今の自分が最高に上手くできること」
と向き合っている。

「大したことはしていない。ただ日々を暮らしているだけ」
と謙遜する人も、大きな天の目から見たら、
ものすごく素晴らしい仕事の一端を担っている
…ということが多々あるものだ。

たとえば、私は若い頃、
「知識や経験が豊富になったら、きっと、
もっともっと素晴らしい仕事ができるに違いない!」
と思っていた。

でも、実際に、いろいろなことを知って、経験を積んだ今、
かえって出来なくなったことがある。

共感力、行動力、熱意、人への伴走力…などだ。
この力は、昔の自分には絶対に叶わない。
なぜかというと…。

たとえば、カウンセリングを希望する人の中には、
「本当に、何としても変わりたいのに、変われない!」
という人がいる。

本人も、強い熱意と必死の思いをもち、
自分なりにしっかり努力をしているのに、
なかなか変われない…というのだ。

実は、そういう人たちの心の深い部分には、、
「変わりたくない。今、変わる時期じゃない!」
という深く強い思いが隠れている。

しかも、困ったことに、その「隠れた想い」に、
「絶対に気づきたくない!」
という鉄壁のシールドまでかかっている

こういう場合には、どんなにアドバイスをしても、
絶対に変わることも、変えることもできない。
それどころか、下手にアドバイスをすると、
相手が、アドバイスの意味を曲げて理解してしまい、
ますます「変われない力」を強めてしまうことにもなりかねない。

こうした人たちに一番必要なのは、
「深い共感をもった伴走。共に試行錯誤すること」だ。

「こんなにがんばっているのに、
 なんで上手くいかないんだろうね~。辛いよね~。
 でも、よくやってるよね。それだけでもすごいよ。
 今度は、こんな方法を試してみる?」
というような言葉や、サポート。

でも、そうした言葉やサポートは、支える側に、
「もしかしたら、新しい道が見つかるかもしれない。
 別の可能性があるかもしれない。
 あきらめちゃダメだ!」
というチャレンジ精神や探求精神があってこそ、
リアルに相手の心に響く力を持つことになる。

ところがこうした時に、知識や経験が必要以上にあると、
「今は、『試行錯誤することそのもの』が必要な時期なんだわ。
 こういう時は、変わろうと思っても変われないんだよね。
 時がこないと動かないものは、絶対動かない…ってことがあるのよ。
 変わるには、何かの縁とか、出会いとか、時期とか、
 自分の力ではどうにもならないファクターが必要なこともあるんだな~」
と思ってしまうため、
「変わらないものを変えよう」
という気が全く起こらない。

そうなると、「変わるための試行錯誤」にあまり共感できず、
言葉や伴走にパワーが伴わない…ということになる。

最近の自分の仕事ぶりを客観視しながら、
「以前のような質の高い伴走はできない…と気づきながら、
 仕事を続けるのは、自分にも相手にも不親切だ」
と痛感するようになってきた。

なので、共感と伴走を必要とするような人々のサポートは、
その能力に長けた若い人たちに委ね、
私は、今の自分の心が動く方向へ、さらに、
徐々にシフトチェンジしていこうと思っている。

ただ、以前からのひまわりメイトさんなどの中には、
「何かあったら、「ひまわり」に駆け込める、
 と思うだけで、日々安心して暮らせる」
という人もいる。
だから、安心のための門戸は開いておくけれど…。

ゆくゆくは、マンガや小説の中にあるような、
「普通にしていると、なかなか見つけられないけれど、
 必要な人には、天から導かれるように、
 必ず自然に扉の前に導かれ、たどり着ける」
というような「ひまわりの部屋」になったらいいな。



14 : 49 : 49 | 未分類 | page top↑
よいお年を…
2020 / 12 / 20 ( Sun )
あれよあれよという間に、もう年の瀬。
何事も、大きく変わる時には苦しみや痛みが伴うものだけど、
今年は多くの人たちが大きな変化を迫られた年だったに違いない。

中には、
「そこまでがんばってなかったし、大変じゃなかったよ」
という人もいるかもしれないけれど…。
一年、自分と自分の身の回りのあれこれに向き合うだけでも、
すごく立派で、素晴らしいこと。

みなさん一年お疲れさまでした!
本当によくがんばりました!
この一年を過ごし切っただけで、花丸!

この大きな揺れを越えた後に、よりよい世界ができ、
変化した人たちがたくさんの幸せを掴めますように…。

よいお年を…。



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