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理想の子育て
2006 / 07 / 26 ( Wed )
何事もハマりだしたら、納得いくまで追求してみないと気が済まない私は、先週から千住ファミリーの本を片っ端から読み漁っている。
感性が似ているなあと思うのは千住真理子さんの本だが、面白いのは千住ファミリーの母、文子さんの本。「千住家の教育白書」は圧巻!
千住三兄妹の曰く「我が家の中で一番才能溢れる人は母」だそう。確かに、本を読むと納得。
自由奔放で、伸び伸びとした子育てに加えて、ドラマチックで生き生きした人生!
朝の連続テレビ小説にしたら、絶対面白いのに!!

文子さんの本を読んでいて、
「千住三兄妹の存在そのものが、文子さんの創り上げた芸術作品なんだなあ」
としみじみ感じた。

文子さんの子育ては、私の考える理想の子育てそのものだ。
でも、だからこそ、子供たちの書いた本と見比べて思う。
「どんなに理想的な親を持って、どんな理想的な子育てを受けても、世の中に出たときの艱難辛苦は同等にやってくる。そして、その乗り越え方を学び取るのは自分自身の力だ。
一見華やかに見える人生を歩く人ほど、その裏に隠された苦労、苦しみは並大抵のものではない」

文子さんと真理子さんの本を読んで、
「私もこんな風に育てられたら、どんなに自分の才能を発揮できただろうか」
とも考えた。でも、よくよく思い返してみると、私が今回の人生で得た知識、得た能力を身につけるためには、私が歩いた道のりがどうしても必要だったと思う。千住家に生まれたら、私の人生は花開かなかった。
私には、私の両親、私の歩いた人生が必要だった…と納得。

ちなみに、真理子さんが大きな挫折を味わって、ヴァイオリンを辞めようと決意したとき、父はこういったそうだ。
「磨かれないダイヤモンドは砂の中にあっても、ダイヤモンドだと気づかない。磨かれて初めてダイヤモンドとして光り輝く。ダイヤモンドは傷ついて磨かれた分だけ光る」

すると、真理子さんはこう突っ込んだとか。
「でも、どんなに磨いても、ダイヤモンドじゃなかったら?」
「ダイヤモンドだと信じるのは、自分の力かもね。
でも僕たちは真理子がダイヤモンドだと信じているよ」

私はこういう仕事をしているためか、「素晴らしい原石を持ってない人は、誰一人としていない」と常日頃から思っている。でも、
「自分はどんな原石を持っていて、今までどうやって、傷つくことで自分を磨いてきたのか」
に気づいていない人はとても多い…とも思う。そして、また、
「あなたにはこんな光る部分を持っています。今までの経験は、自分の人生を輝かせるためにこんな風に役立ってますよ」
と伝えられても、自分も他人も信じられずに、みすみす輝くチャンスを失ってしまう人も少なくない。

最近つくづく思う。
人は自分の人生を最高に輝かせるために、一番有意義な傷つき方をしようと、望んで今の人生を選んだのかもしれない。

生きていても、死んでいても、自分は自分自身でしかない。「自分」以外に自分の居場所はない。だとしたら、今いる「自分」という場所を最高に居心地のいい場所にしてあげることが、自分にとっての一番の勤めかもしれない。

自分というのはダイヤモンドか、ガラス玉か、はたまた、普通の石か…。
でも、どんな素材でも、自信をもって磨けば磨いた分、必ずピカピカ光りだす。苔まみれで汚れたダイヤモンドの原石より、ピカピカに磨き上げられて、大切に愛された河原のなんでもない石の方が何倍も素敵だと私は思う。
11 : 29 : 36 | ひとりごと | page top↑
人生いろいろ
2006 / 07 / 20 ( Thu )
先日、母の友人に千住真理子のコンサートチケットをいただいたので、妹と二人で行って来た。

超出無精の私は、こんなことでもないとコンサートなどにはいかない。でも、久しぶりに出かけてみて、以前とは違った音楽の魅力が感じられて楽しかった。

なかでも感動したのは、千住真理子さんがあれだけのパッションを持ちながらも、しっかりと地に足のついた生き方をしているらしいことが、ひしひし伝わってきたこと。エネルギッシュな人って、どこか人とぶつかるようなものを持っていることが多いのに、千住さんの場合は根底にしっかりとした愛情が感じられた。

「生存競争の厳しい音楽の世界で、一体どうやったらこんな性格のいい人が育つんだろう」
と興味を持った私は、思わず千住家に関する本を買いあさってしまった。

まだ、全部読み終わってないけれど、「子供の頃から徹底的に、その子自身の力で人生を掴み取れるように」という教育方針らしい。本当に本質的な子育てだと感心した。他にも、この家族が交わしている言葉の端々に、私の中にはない発想があって、
「人生の山や谷を乗り越えるのに、こんな方法もあったのか」
と、とても勉強になった。

本当に、いろいろな人の人生って面白い。
 
ところで、ここ数週間、ひまわりが忙しかったせいか、あるいは急に暑くなったせいか、診療室のパートナーであるベンジャミンの元気がなくなってきた。

植物にも、たまには夏休みが必要かしら。ベンちゃん、しばらくゆっくり休んでね。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:心と身体

10 : 31 : 56 | 未分類 | page top↑
心機一転
2006 / 07 / 12 ( Wed )
秘書織田ちゃん大活躍で、「ひとりごと」をブログに変えてもらいました。

織田「そろそろ、『ひとりごと』をブログに変えようと思うんですけど」
森津「うん、なんでもいいよ。ブログになると、何かいいことあるの?」
織田「管理もしやすいし、ブログの方が見る人も気楽に見たり、リンクを貼ったりできるんですよ」
森津「そうなんだー。よくわからないから、織田ちゃんがいいなら、なんでもいいよ」

なーんて、いい加減な私ですが、さすが織田ちゃん、私の好みをよくわかってらっしゃる。とってもきれいな仕上りで、満足、満足です。
ちなみに、何か一つでも心機一転すると、幸せが舞い込んでくるとか?! 
何かいいことがあるといいなあ!

それにしても、パソコンも、事務もなーんにもわかってない私が、こうやって診療に専念できるのはひとえに、織田、浅原の二人のお蔭です。ありがたい、ありがたい…。

ところで、ひまわりの隣りの家に青々と茂って夏場の涼を届けてくれていた桐の樹がバッサリと切られてしまいました。

たぶん、秋だけでなく、葉が茂り始める春先から、いっぱい葉が落ちるので、お隣りの方は「近所迷惑かも…」と善意でやってくださったことなのでしょう。でも、あれだけの大きな樹に育つには何年かかったのだろう、憩いの緑だったのに…と思う度に、本当にがっくり…。

春先から葉が落ちることも、私としては、
「ああ、こうやって、青葉のうちに落ちる葉っぱもあるのね。こんな葉っぱ一枚でも、『すべての命が長寿をまっとうできるわけじゃない。必ず、若いうちに散る命もある』と教えてくれてるんだわー」
と、感慨深く感じていたのだけれど…。

せめてお隣りの緑さんの分も、我が家の緑さんたち、すくすく育ってね、と声を掛けまくる今日この頃なのでありました。
23 : 22 : 55 | ひとりごと | page top↑
内面の感覚
2006 / 07 / 08 ( Sat )
先日、内面の感覚を磨いてみようと、耳栓をして外の音を遮断して過ごしてみた。
すると、普段は聞こえないような体の音がいろいろ聞こえてきて、なかなか面白かった。

呼吸の音。血管の拍動。
ストレッチした時の筋肉や骨の音。
声を出した時の体の中への音の共鳴…などなど。

普段、外からのたくさんの音の刺激に紛れて、自分自身の体の声には耳を傾けてなかったけれど、
体っていろいろなお喋りをしているんだなあと、しみじみ感じた。

別の日には、森林浴に出かけ、滝を正面から見るだけでなく、背中で味わってみた。
これがとてもヒット! 
頭の上から、足元にかけて水のエネルギーで流し清められていくよう・・・。
まるで滝行をしているような感じで、とても気持ちがよかった。

でも、どんなにすばらしい自然の中にいても、
ついつい、近くにいたおばちゃんたちの大きな喋り声に気をとられてしまうと、
川のせせらぎや木々のざわめき、小鳥たちの声だけに集中することができない…。

「こんな素敵な大自然を前にして、知らないおばちゃんのだんなの悪口なんて聞きたくなーーい! 静かにしてー!!」
と、自分の心の中で絶叫が始まってしまうと、さらに心は落ち着かなくなってしまう・・・。

その後、家に帰って、屋久島の自然かなんかを思い浮かべながら静かに瞑想してみた。

なんてことはない。
おばちゃんたちのお喋り付の美しい自然の中にいるより、
自分の中の静かな心の中に浸っている方が、ずっとずっと、
豊かな自然を味わうことができる・・・と実感。ついでに、
「いつの間にか、こんなに静かな心を生み出せるまでに、自己鍛錬できるようになっていたのねー♪」
と、あらためて自己発見。

自分自身って、あまりゆっくり見つめることがないけれど、
たまには違った角度からじっくりあれこれ見つめてみると面白いかも。
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