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ホロスコープ
2006 / 09 / 21 ( Thu )
ミーハーな私は、悠仁親王誕生のニュースで、早速、誕生日時のホロスコープを作ってみた。最近じゃ、とんと占いとは疎遠になってしまったが、それでも昔とった杵柄ってやつで、下手な駆け出しの占い師よりは、ホロスコープも読める。

で…、悠仁親王の星回りを調べてみてびっくり!
まあ…なんて、出来すぎたホロスコープなんでしょう!!
簡単にいうと、
「たくさんの人たちに支えられて、伝統的なものを守りつつ、新しい風を取り入れていく」
 といった星回り!
びっくりして、専門の占い師さんたちのサイトを見てみたら、やはり似たような意見が書いてある…。

ついでに、「出産の経過によって、その子の人生を暗示を読み解く」という方法もある。
なので、「部分前置胎盤で、帝王切開での誕生」と聞いた時には、「子供自身は嫌々生まれてくるんだろうか」と密かに心配していたのだけれど…。
このホロスコープと照らし合わせて考えると、
 「最新の医療技術とたくさんの人の手助けを借りて、自分の人生が輝ける日時を選んで産まれてきた」
ということなんだろうなあ…と感じた。

とはいえ、産まれた星回りですべてが決まるわけではない。星も人生も生かすも殺すも自分次第。
未来を背負う子供たちが皆、自分の人生を自分らしく輝かして生きていってくれるといいなあ。
10 : 40 : 51 | 趣味 | page top↑
自然に生み出されるもの
2006 / 09 / 13 ( Wed )
羽衣のように薄い布を作る沖縄の織物作家のテレビを見た。

普通、絹糸というのは30粒の蚕の糸を縒り合わせて、一本の糸にしたものを使うのだそうだ。でも、その作家さんはたった一粒の蚕から糸を作ることに挑戦しておられた。

極細の糸は切れやすく、扱いも大変だ。機織に掛けられる状態にするだけでも何ヶ月もかかる。そればかりか、布を織り始めてもすぐ糸が切れてしまい、織っている時間よりも、切れた糸を繋いでいる時間の方が長いことも少なくないそう。だから、一日にたった五センチしか織りあがらないこともしばしばだとか。

 毎日の作業には、目新しいことはなにもない。淡々とした単純作業の繰り返し。
糸を淡々と縒り合わす。縦糸に横糸を淡々と通していく。切れた糸を淡々と繋ぎ合わせる…。作家さんはそうした単純な繰り返しの作業の中に、「生きる」ということを見出したそうだ。

 以前、その作家さんは沖縄の伝統織物に携わり、いろいろな織物を自らの手で織ってきたそうだ。長い間、「沖縄らしさ。伝統。自分のオリジナリティ」を追求してきた彼女は、ある時から、そうしたものを一切手放した。辿り着いた境地は、
 「作品を意図的に『創ろう』とするのではなく、ただ『生まれようとするのを手伝う』だけ。作品を創ろうとしているうちは、何かが違うと感じていたけれど、自分自身が自然になるにつれて、沖縄らしさとか、自分らしさとか、そういったものが気にならなくなった。ただただ、蚕の糸の呼吸に自分の呼吸合わせて、布にしているだけ」
だとか。

 そんな彼女は「生きる」ということについて、こんな風に語る。
「波とか、呼吸とか、心臓の鼓動とか…。そういうものは、すべて単純なリズムの繰り返しで成り立っている。そういう繰り返しのリズムそのものが、『生きる』ということのように思える。
自然の繰り返しのリズムは、一見規則的に見えるけれど、自然に生まれるほんのわずかの違いが密やかに息づいている。
 一本の糸は決して、同じ太さではない。その太さのわずかな違いが、布にした時に、自然の模様として生み出されてくる。
ただ、自然の時が来ると、蚕は糸を吐き出して繭を作るように、私は糸の呼吸に自分を合わせることで、糸が「なりたい布」になるのを手伝うだけ。そうして生まれたのが、この羽衣のような織物なんです」
 とおっしゃっていた。

どうしても、人というものは、「あんな風になりたい。こんな風に状況を変えたい」と無理矢理、自分の思う通りに人生や人や環境をなんとか自分好みに変えようと四苦八苦して悪あがきをしがちだ。そして、失敗するとがっくり落ちこんだりする…。

でも、人生というものは、悪あがきをしたり、無理矢理自分の意図通りに動かそうとしなくても、「起こることは時期がくれば起こるもの」なのかもしれない。
 そして、「失敗のように見えること」も、どんなに避けようとしても、「起こるべき時には起こること」の一つに過ぎないのかもしれない。
 
どんなに腕の立つ織物職人でも、難しい仕事をしている時には、湿度、風、糸の緊張など、自分の力ではどうにもならない自然の力の成り行きの中で糸が切れることがある。それは、「失敗」に見えるけれど、そうではなく、様々な環境要因でたまたま起こったことに過ぎない。そして、糸が切れたことをいたずらに嘆かず、
「これも、繰り返される一つの波」
と、淡々と糸を繋げていけば、何事もなかったかのように、布は織り上げられていく。
 あるいは、糸を繋ぎなおしたお蔭で、糸が切れる前には予想もしなかったような美しい模様が布の中に織りこまれることになるのかもしれない…。それこそ、「天の采配で、天が産み出した模様」に違いない。

そして、素晴らしいことを成し遂げようと意識しなくても、糸が切れれば「糸を繋ごう」という心の衝動は必ず起こる。糸が足りなくなれば、「糸を紡ごう」という衝動が起こる。布が織りあがれば、機織から切り離そうという衝動が起こる。

人生も同じかもしれない。
「すごいことを成し遂げよう」と無理に自分の心を駆り立てなくても、自然の流れがくれば、「これをやりたい」と相応しい心の衝動が起こる。そうした自然な心の衝動が起こるまで、ただ淡々と同じ繰り返しを続けることもまた「自然に生きる」ということなのかもしれない。

自然に淡々と日々を積み重ねるだけでも、季節は巡り、木々は芽吹き、花が咲き、必ず実りの秋が来る。
人生も同じなのかもしれない。
自然に紡ぎ出されてくる人生のリズムに、淡々と乗って、淡々と湧き出てくる静かな心の動きのままに生きていけたらなあ…と思う。
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2006 / 09 / 11 ( Mon )
私には苦手なものがいくつかある。
たとえば、「周りの人たちを突き飛ばしてでも、スーパーの目玉商品をゲットするおばさん」とか、「公共の場で狂ったように泣き叫ぶ子供と、その子をヒステリックに怒鳴りつける親」とか…。

 苦手な出来事に出会うと正直いって、「今日はついてないかも…」などと、ブルーな気持ちになる。
 でも、よくよく考えると、私の中に、
「ああいう人、嫌い! あー、嫌だ! なんであんなことをするのかしら」
と嫌ったり、批判したりする心があるから、「嫌なことが起こった」ように見えるだけなのかもしれない。
似たような現場に出くわしても、人によっては、「わあ! エネルギッシュなおばさんたちね! あのパワーを分けてもらおうっと!」とか、「子供って自分の気持ちに正直だなあ! 羨ましいなあ。お母さんも、すごくがんばってるんだな。子育てご苦労様!」と、ほほえましく見つめられる人もいるに違いない。そういう人たちは、彼らから、かえってパワーをもらえるはずだ。

周りで起こる出来事は、すべて自分自身の鏡だ。
周りで「大変なことばかり起こる」と思うならば、実は自分自身の中に「大変がある」ということに過ぎない。自分の中から「大変」がなくなれば、外側で何が起こっても「大変」とは見なさなくなるだろう。

それに、よくよく考えてみると、苦手な性質は自分自身の中にも眠っている。
私は「スーパーで商品ゲット」には走らないものの、仕事や習い事を極めたいと思ったら、何がなんでも誰よりも秀でないと気が済まないところがあるし、落ちこんだ時には布団をかぶって、大声でワーワー叫んで泣くことだってある。それに、今でこそ、かなり穏やかに過ごしているけれど、根は母親譲りだから、ケンカっ早くて、ヒステリックな性質を持っている。

つまり、状況が変われば、苦手な人たちと同じようなことを私がやらないとも限らないわけだ。

…とわかっていても、それでも、自分の心の中に、
「理屈はわかっていても、苦手なものは苦手だし、嫌いなものは嫌いなんだもん」
と叫ぶ自分もいたりする。

以前の私だったら、無理矢理、
「外側の「大変」をなくすためにも、何がなんでも、自分自身が「大変」と考える心を変えなくちゃダメ!」
と自分自身を説得しようとしていた。

でも、最近では、
「理屈はわかっていても、嫌いなこと、苦手なことってあるよねー。それでいいよー。でも、『どんなぐちゃぐちゃな出来事の中にもプラス面はあるんだな』という気持ちだけでも、一緒に持っていようよ。そうすると、自分のことも、周りのことも気楽に見ていられるからさ」
と、話掛けるだけに留めている。

すると、「苦手」「嫌い」「大変」は確かに存在するのだけれど、そんなに辛く感じないから不思議だ。
「苦手」「嫌い」「大変」を克服するために、がんばって自分を変えるのもいいけれど、隣りに、「素敵なこと」「愛」を置き続けるだけのほうが、楽チンかもしれない。

話変わって…。

親王誕生おめでとうニュースを楽しく見まくっていた。
ところで、私は在学中、誕生会見をされた皇室医務官の金沢一郎先生の授業を受けた。大学の授業なんて、知識としては残っていても、どんな先生がどんな話をしたかなどはほとんどおぼえてないのだが、金沢先生の話だけは、今だにおぼえている。

ご専門が神経難病だったもので、学生には難しいはずなのだが、それはそれはとてもわかりやすく、なおかつ面白おかしく、時に、涙をそそるような感動と共に教えてくださった。
だから、学生たちは、
「金沢先生、本当にこの仕事が大好きでたまらないんだね」
と噂したものだ。先生の話はマニアックな内容だったので、教わった知識が現場で役立つ可能性は少なかったけれど、先生の人となりや仕事に向う姿勢はとても学ぶところが多かった。私は、
「どんなにためになる話よりも、本当に自分の仕事を愛していて、楽しくてたまらない…と思っている人の話の方が楽しいし、心に残るなあ」
と思ったことが忘れられない。

ああいう情が厚くて、素敵な先生が主治医になってくれるなんて、皇室の方々も心強いことだろう。よかったなあ、と思いつつ、記者会見のTV画面に向って、
「金沢先生―! がんばってくださいねー!」
と、手を振ってしまった私である。
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