年の瀬
2006 / 12 / 28 ( Thu )
年の瀬にきて、ちょっと気を緩めて体調管理を怠ったら、向かいの解体工事に伴うハウスダストと花粉のダブルパンチで体調を崩してしまった。
 でも、昔に比べて休み上手になってきたせいか、
「ああ、神様が『休むのを手伝ってあげる♪ 理由があれば休みやすいでしょ。この機会にゆっくり自分を振り返ってねー♪』といっているのね。じゃあ、あきらめて、夢の中で天使さんや神様とデートでもするかあ」
 と腹をくくって、動かせない用事以外はあきらめて、ひたすらのんびりを決め込んだ。
 
 すると、今までは、体調の悪いときには休んでいても休んだ気がしなかったのだが、今回はいくらでも気持ちよく休める。うつらうつらと、とーっても気持ちよくまどろみながら、
 「身の回りの出来事も、体調も、『大変』があると真剣に自分のことを振り返って調整するから、『大変』って案外役に立ってるなー。『大変な時』って、あきらめて逆らわずに必要な対処だけすれば、こんなに楽にやり過ごせるのねー。
なーんだ。やっぱり、自分の心の持ち方が『大変』をもっと大変にさせてたんだー」
 なんて感心していた。
たまに具合悪くなるのも捨てたもんじゃない。

 ところで、最近、出会う人や相談にこられる人たちがいろいろな「天からのメッセージ」を置いていってくれる。以前から、そういう傾向はあったのだけれど、最近富にその頻度が多くなってきた。
 たとえば、違う人から同じフレーズを数回聞かされたり、夢で見たことと重なる話を聞かされたりしたときには、たいがい「メッセージ」が含まれている。
「メッセージ」は、「こういう考え方をすると楽だよ」とか「生活のここを工夫すると楽になるよ」とか「もうじきこういうことが起こるから、準備をしておいてね」などなど・・・。
 時には、自分自身でも気がつかなかったことを教えられることもある。

 先日などは、知人とお遍路の話をしていて、ハッと気がついた。
 「そういえば、九州旅行に行く前、やたらお遍路関係の話を聞いていた! お遍路に行く気にはならなかったものの、そのお蔭でお遍路の方法には結構詳しくなっていたっけ・・・。
 ああ、そうか! 私の九州旅行って、お遍路みたいなものだったんだ。寺を訪ねるか神社を訪ねるか、空海と旅するか龍神様と旅するかの違いだけ。
 考えてみれば、前の年からお能のお稽古ではひたすら神様がらみの曲ばかりやっていたっけ。知らない間に、修行した末、二泊三日のお遍路に出ていたってわけか」
 と、すっかり納得。

知らないうちに、毎日の何気ない生活の中で「未来の自分」に役立つ準備をさせられて、知らないうちに「何かを成し遂げていた」というわけね。
たまにこうして振りかえってみると、つくづく、
「毎日積み重ねている体験って、必ず未来の自分に役立つために起こっているんだなあ」
と思う。そう考えると、今日やっている何気ない積み重ねがなんだかとても愛しい事のように思えてくるから不思議だ。

ところで、年末にかけて出会った患者さんや知人を見ていて、今年のはじめと比べて格段に輝いて見える人が多いことに気がついた。彼らは勇気を持って「それまでの自分」という殻を壊して、「新しい自分」を創り上げていた。
「まるで、幼虫が蛹になって、脱皮して蝶になり、今まさに飛び立とうとする瞬間を見ているようだ。
今はまだ、大きく生活は変わっていないようだけれど、幼虫の生活と蝶の生活が全く違うように、来年は大きく幸せに羽ばたく新しい生活が待っているんだろうな」
と、強く感じた。

誰かの人生のこんな素晴らしい変化の瞬間に立ち会えるなんて、そうそうあることじゃない。これだけたくさんの人たちの素晴らしい変化の瞬間に立ち会えるなんて、なんて幸せな年だったのだろうと思う。

そして、他人の人生を見ていて感じることは、私自身の人生にも当てはまることなんだろうな…とも思う。
今年は目立った生活の変化はなかったけれど、気持ちの上では大きな成長のできた年だった。もしかすると、神様の目から見たら、私も「蛹から出て、今まさに飛び立とうとしている蝶」に見えるのかもしれない。

  誰の人生でも、自分の身の周り見回せば、「人生の指針となるメッセージ」は必ず転がっている。答えは本当に、自分自身と自分の周りにあるのだ。
でも、私達は「たくさんのメッセージ」をもらっていながら、案外「メッセージの意味」に気づいていないのかもしれない。
もしかすると、最近の私自身、「メッセージをもらう頻度が増えた」のではなく、「メッセージを正確に読める頻度が上った」だけなのかもしれないな…とも思う。
 でもでも、もしかすると、答えのわかった人生なんて面白くないから、「メッセージ」に気づかない振りをして、「わくわくドキドキの未来」を楽しんでいるのかもしれない。それもまた、楽しいって感じ?

 ちなみに、このブログを読んでいる皆さんたちもまた、多かれ少なかれきっと、「私の周りにいる大きな変化ができた一年を過ごした人」に違いない。
 …ということは、来年は皆さん方もきっと、素敵な飛躍の年になるってことでしょう! みんなで幸せをたくさんゲットしましょうね!
 では、皆様、良いお年を!
22 : 41 : 11 | 心とからだ | page top↑
おばあちゃんの心
2006 / 12 / 23 ( Sat )
先日、TVで「伊勢大神楽」の伝統を守ろうとする青年のドキュメントを見た。

 「伊勢大神楽」は、伊勢参りに行けない人たちに神の功徳をお裾分けするために始まったものなんだそうだ。獅子舞、曲芸を中心にした神楽を舞いながら、家々を回ったり、各地の氏神様の祭りで奉納舞を舞ったりするらしい。400年続く伝統芸能なのだが、後継者がいなくて廃れようとしているのだとか。そこで、一念奮起して伝統を継ごうと決意をした青年の活動を追う・・・という内容だった。
 
 伝統の神楽舞や青年の活動はもちろん感動だったのだけれど、何より心揺さぶられたのは、「昔から毎年、親、子、孫三代で、獅子舞を家にお迎えしている」という古い家のおばあちゃんの姿。
 獅子舞を前にして、
 「神様、今年も無事に一年を過ごさせていただきました。本当に、本当にありがとうございます・・・」
と、額を床にこすりつけてひたすら平身低頭するおばあちゃんの背中を見ていると、まるで「本当の神々しいばかりの獅子神様がいらっしゃって、おばあちゃんを祝福している」ように感じられて、涙が溢れて止まらなくなった。
 おばあちゃんに手を合わせられ、感謝された青年は、
 「この仕事を始めて、『僕のやっていることはほんのちっぽけなことかもしれないけれど、僕みたいな人間でも生きていていいんだ』と生きる勇気がわいてきたんです」
 と語っていた。

「相手に向かって祈ることで、相手を神仏にする人」
 というのは、まさにあのおばあちゃんの様な人のことをいうのだろう。

 以前、玉三郎が「江口」という曲で西行法師を舞うのを生で見た時に、祈っている玉三郎の心の中に光り輝く普賢菩薩の姿が見えたことがあった。でも、今回はビデオなのに、玉三郎の時以上にはっきりした神の姿がおばあちゃんの心に見えた。・・・ということは、生でおばあちゃんの姿を見たら、きっと、もっともっと圧倒的な神の姿が見えたに違いない。

 「本当の賢人とは、普通の日常の中でひっそりと生きている」
 という言葉を今回ほど、ひしひしと感じたことはない。あのおばあちゃんはいったいどんな人生を送ってきた人なんだろう??

 今回のTVを見て、つくづく思った。
「神のようになりたいと自分の心を磨く」よりも、「すべてのことの中に神を見つけて感謝する」方がずっとずっと大きなパワーをもたらすことができるんだなあ・・・。
 おそるべし!普通のおばあちゃん!!
23 : 00 : 37 | ひとりごと | page top↑
花粉症
2006 / 12 / 15 ( Fri )
今年もそろそろ花粉の季節がやってきた。

私の場合、11月ごろから「ああ、飛び始めたなあ」と感じる。昨年の今頃は、飛び始めの花粉でひどい症状が出たので、今年はまじめに花粉症対策をした。お蔭で、「飛んでいるなあ」と思うけれど、いつもほどひどい症状は出ない。
対策はいろいろ言われているけれど、自分の性格と体質に合わないものは返ってストレスになりかねないので、実行しやすく、なおかつ、効果があると自分自身が感じたものだけやっている。

一番効果があるのは禁酒。お酒を飲むとてきめんに症状がひどくなる。なので、これは必須。今年は普段から、なるべくお酒を控えていたのも効果があったみたい。
また、菜食中心の食事で体質改善や就寝時にマスクをするのも効果があった。

でも、絶対に悪化の原因だとわかるのに、なかなか対策に苦労するのが、タバコの煙と排気ガス。今年こそ、空気清浄機を買うかどうか、悩むところ…。
この時期になると、つくづく「タバコを吸う人とは一緒に暮らしたくない!」と思う。

まあ、私も昔、タバコとはどんなもんぞやと試してみたこともあるので、
「一服のタバコはアロマセラピー&深呼吸。人生の清涼剤」
と頭では理解できるけど、やっぱりやっぱり大嫌い。
いつの時期にもまして、この時期になると、「タバコが原因で離婚っていうのもありうるだろうな」と思ってしまう私なのだった。
13 : 45 : 31 | ひとりごと | page top↑
問題の大元はどこ?
2006 / 12 / 07 ( Thu )
「いじめ問題」が大々的に取り上げられる中で、つくづく思うこと。
「大人たちは、子供のことばかり問題視せず、自分たち自身のことをもっと振り返った方がいいのに」

 産まれたての赤ちゃんがいじめを知っているわけがない。「いじめっ子」は、誰かからいじめられたことで「いじめ」という行動を学習しただけ。つまり、「いじめっ子」の周りにはいじめを教えた大人たちが存在する。そして、いじめをしている大人たちもまた、誰かからいじめを受けてきたに違いないのだ。
 本当にいじめを撲滅させたかったら、大人たち自身がまず、自分たちの行動を改めなくちゃね。

 ところが、大人たちはこれだけ騒いでいるにもかかわらず、いざ子供が不登校になった時に守ってくれない。
「子供さんは身も心もズタズタに傷ついています。これからの人生をしっかり歩いていくためにも、今はゆっくりお休みをさせて、心と体を癒す時間を作ってあげてください」
とお願いしても、
「勉強が遅れたら困る。出席日数が足りなくなったら、進級がむずかしくなる」
 などの理由で、無理矢理登校させようとする大人は少なくない。
「命と出席日数、この子の人生と進級、どっちが大切なんですか!?」
 と訴えても、目先の「学習の遅れ。出席日数。進級」=「将来の不幸に繋がる」ということばかりにとらわれて、「目の前の今の子供の心」には目がいかなくなってしまうようだ。
「これの方が、よっぽど「いじめ」じゃないの?」と思ってしまう。

それに、殴る蹴るなど明らかに暴力があれば、「これはいじめ」とはっきりわかるので、止めに入ることも可能だ。でも、「正義」を振りかざされた「プチいじめ」は、正当に見えるだけに反論しにくい。だから、「正義」の名を振りかざしたいじめの方が始末が悪い。
「立派な人間になるために。能力を伸ばすために。いい学校に行くために。いい会社に行くために。いい地位を得るために…」
など、「教育」「成長」「進歩」など、「正義のいじめ」は知らず知らずのうちに、密やかに続いていく…。そうして、大人たちからストレスをかけられた子供は、弱い子供をいじめるようになる。
だから、大人たちは、子供を問題視する前に、まずは自分自身のことを振りかえった方がいいかもね。

ちなみに、私自身の中にも、いじめっ子になりそうな要素も、いじめられっ子になりそうな要素も多々あると思っている。私に限らず、敏感な人は多かれ少なかれそういう面を必ず持っている。なぜなら、いじめをするつもりは全くなくても、敏感な人は相手の強いエネルギーに巻き込まれると、意図しない行動に出てしまうことがあるからだ。

例えば、いじめられ慣れている人というのは、どんな人を見ても、
「この人もまた、自分のことをいじめるんじゃないか」
と、ビクビクしてしまうことがある。実は、この「ビクビク」がクセモノだ。「ビクビクする」という行動、これは恐怖心からでたもので、全く悪気はなく、むしろ可哀想な反応だ。でも、この「ビクビク」という行動は、悲しいかな何も害を加えてない人に、暗に(エネルギーのレベルで)、
「あなたはいじめっ子でしょ?」
と「いじめっ子」のレッテルを貼ったのと同じことになってしまうのだ。

そのため、相手が敏感な人だと、無意識(エネルギーレベル)で「何もしてないのに、「いじめっ子」呼ばわりされた!」と思ってしまい、カチンときて、イライラと相手にあたり始めるというわけだ。

なので、もし「悪気はないけれど、あの人と話しているとどうしても優しい言葉遣いができないのよね」と思うことがある人は、相手のエネルギーに巻き込まれていないか、チェックすることが大事だ。
また、知らず知らずのうちに「いじめっ子」や「いじめられっ子」になってしまわないためにも、自分自身の体調が悪かったり、心の余裕がない時には強いエネルギーを持った「いじめっ子」「いじめられっ子」を避けることも大切だ。
逆に、「どこにいってもいじめられる」という人は、
「また、いじめられるんじゃないか。この人も自分をいじめるタイプの人かも・・・」
とビクビクしながら、周りの人を「不振の目」で見ていないか、自分自身の心をチェックしてみるといい。
今まで何度も辛い目に合ってきて、なおかつ人を信じるのはとても勇気のいることだけれど、「ビクビク」する自分を振り切ることで、必ず、いじめられにくくなる。

案外、こういう無意識(エネルギーレベル)のレベルで起こっているってことって、知られてないよね。

ところで、「いじめ」って、もしかしたら「強くてより優秀なものが生き残っていきたい」という「種の保存」のような本能からくる現象かもしれない。
だったら、なかなかなくならないだろう。
少なくとも、「何か対応したら、この世からいじめが今すぐ、すべてなくなる」なんてことはありえない。
だったら、とりあえず、渦中の人になったら、「いじめに立ち向かう強さ」を養うよりも、まずは、自分自身を守ることのほうが先決だ。そのためには「逃げる」という選択もありだ。その後の対策は、逃げて、自分を安全な状態にしてから、ゆっくり練ればいい。
自分を痛めつけてまで、がんばらなきゃいけないことなんて、ないんだからね。
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