天のタイミング
2007 / 10 / 31 ( Wed )
世の中には、「この人って、実は生きている天使?」と感じる生き方をしている人がいる。
「生きている天使さん」たちは、本当に絶妙の「天のタイミング」で動いている。彼らは、扉の前に立てば自然に扉があくし、「川を渡りたいな」と思ったころには目の前に橋が現れる。嵐の時には、何となく家にいたい気分になるらしく、家から一歩も外に出ないから、外で嵐が吹いていたことにすら気付かない。
何となく生きているのに、周りのすべてとタイミングがぴったり合っているのだ。
そういう人を見ていると、
「いかにうまく生きるか…という理論や哲学は、「人間」には必要かもしれないけれど、「天使」にはいらないんだなあ」
と感じる。

努力しなくても、春には花が咲き、秋には葉っぱが紅葉するように、人生も「天のタイミング」に合せて、自然に展開するままに生きられれば、あまり努力しなくても時期が来れば自然にふさわしい花が咲くんだろう。

でも、ついつい人間は欲を出して、「何としても冬に花を咲かせたい! 夏に紅葉をみたい! 木を植えたら、すぐに実を収穫したい! きゅうりの蔓にナスビを生らせたい」と自然(「天のタイミング」)に反して、自分の要求を無理やり叶えようとする。だから、努力がいるのかもしれないなあ…と思う。

「天使」のように自然体で「天のタイミング」に合せる…とまでいかなくても、せめて、「天のタイミング」を待てる心のゆとりを持ちたいものだと思う。

ところで、「生きている天使」さんが、AさんとBさんを出合わせたことで、二人が大喧嘩を始めてしまい、大変なことになったことがある。
「天使」が「出会い」というチャンスを作っても、それを「幸せ」につなげるか、「崩壊」につなげるかは本人たち次第ってことなんだろう。

あるいは、神が「ノアの方舟」以外のものを海に沈めてしまったように、一見残酷に見える「崩壊」もまた、「天の意志」だったりするのかもしれない。
天使や神が「崩壊」をも起こすならば、人間の引き起こす「崩壊」の中にも「天の意志」があるかも…。そして、人は「崩壊」を生かして「幸せ」を生むチャンスにすることもできるってことだろう。
ただ、そういう事実って、なかなか受け入れるのも実行するのも大変だよね。

 でも、天使な生き方をしている人は、「崩壊」に出会っても、
「あちゃ…冬の季節に出会っちゃった? そうかそうか、しばらく待てば、春に花が咲くのを見られるってことね。ラッキー♪」
とか言って、自然体で乗り越えるのかもしれない。

ついでに、そういう発想ができるってことは、自分もそういう生き方ができる可能性があるってことなんだろうな…と思うことにしよーっと!

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「過去の私」が一緒に歩いてくれる
2007 / 10 / 28 ( Sun )
先日、
「先生なら、「先の見えない道」を歩く時に、どんな風に歩くの? もし、隣りに「先の予想はつくけど、自分らしいと思えない道」があったらどうする?」
と聞かれて、
「私はどんなに安全そうで先が見えて安心な道でも、「自分らしくない」と思うなら選ばない。逆に、「私にはこの道しかない」と思ったら、たとえどんなに先が見えなくても、一歩ずつ足元を確かめながら、「これが自分の道」と自分に言い聞かせて、ひたすら前に進んでいく。前に進めば、必ずいつか道が開けて、「そうか、この方向に歩きたかったんだ」と思う道が絶対に見つかると思うから…。
今までそうやって生きてきて、「今の私」がある。それで間違いなかったから、これからもそうやって歩いて行くと思う」
と答えた。

答えてから、自身を振り返ってみて、
「おー! そういえば、そんな風に歩いてきたんだっけ」
と、あらためて思った。(誰かと話すと、「自分」があらためてわかるもんだ!)

思い返してみれば、最初に「先の見えない道」を選んだのはいつのことだったろう。
その時は、今のように答えられるだけの自信なんて、米粒ほどもなかった。
その道以外、行く道がなくなってしまい、仕方なく破れかぶれでもその道を歩かざるを得なかっただけ。

だから、正直言って、たったの一歩ですら前に足を進めるのが怖くて、全く動けなかったことだってあった。そんな時には、仕方ないから、
「そんなに怖いなら、動かなくていいよ。動きたくないならじっとしていれば?」
と自分に言い聞かせてみた。でも、本当にそう思っていたわけじゃない。
内心は「このままじっとしていたって、前に進まないのに! なんで動かないのよ!」と、ひたすら焦っていたのだ。でも、「動けないんだから、仕方ない」とでも言わないと、苦しくてやり切れなかったから、必死で言い聞かせていただけ。

そうこうするうちに、動かないでいる方がもっと怖くて苦しくなってきた時に、無理矢理、こんな風に言い聞かせながら一歩ずつ歩いて行った。
「じっと動かないでいたら、道は開けない。でも、目の前に道が続いているなら、先は見えなくても、一歩ずつでも歩いて行けば、新しい道が見つかるかもしれない。
もし、行き止まりだったら、今来た道を引き返せばいい。みんなよりずっと遅れるかもしれないけれど、「一からもう一度やり直す覚悟」があれば、いつだって分岐点に戻れる。
でも、きっと、この先に道はある! この先の道を歩くために、私は今ここにいるんだ!」

やっぱり、本当にそう信じられたわけではない。そうでも言わないと、怖くて怖くて、たったの一歩も踏み出せなかっただけだ。
迷う度、不安になる度に、ひたすら何度も何度も自分に言い聞かせた…。そんなことを、人生で何十回繰り返しただろうか?

でも、確かにいつも必ず「新しい道」は見つかった。道が見つからずに引き返したことは一度もなかった。誰も歩いたことのない道もあったけれど、どの道も今思えば、
「なんて私らしい道なんだろう! この道を選んでよかった!」
と思える道だった。選んだ「道なき道」を、今、どれ一つとして後悔していない。

だから今の私は、「先が見えて安心だけれど、自分らしくない道」よりは、「先が見えなくても「自分らしい」と感じる道」を迷わず選ぶ。
それでも、今だって100%自信を持って、選んで歩けるわけじゃない。ただ、そういう道を歩くときには、「過去のがんばったたくさんの私と一緒に歩いている」と感じる。過去の私が応援してくれる分だけ、ちょっぴり勇気と自信が持てるんだと思う。
そして、「今日の私」が一歩を踏み出せば、いつか「未来の私」が力づけられ、幸せになるんだと確信している。

だから、私は「今日の自分」に声をかけることができるのかもしれない。
「今日の一歩は必ず未来に繋がるよ!  がんばれ! 今日の私! 今日と未来の私の幸せのために!」

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同じ町に住んでるの?
2007 / 10 / 19 ( Fri )
父と話をしていると、
「えっ! そんな店、近所にあった? ええっ、そんな人、近所にいるの?! えーーっ、近所でそんな騒ぎがあったの?」
と目を丸くすることが多々ある。
自分の生活を見る限りでは「私は平和で人情味あふれるいい町で暮らしている」と思うのだが、父の話を聞くと、どうもそうは感じない。とても同じ町で暮らしているとは思えないほど、話が噛み合わないことがある。

でも、振り返ってみれば、ここ数年出かける時、私はいつも絶妙のタイミングで、列車の事故や遅れに全く巻き込まれずに平和に過ごしているが、父はタイミング悪い状況によく巻き込まれる。

同じ町、同じ国で暮らしていても、生き方のタイミング一つで、
「平和で豊かで幸せな所で暮らしているなあ」
と感じる生活になるか、
「なんて住みにくい所で暮らしているんだろう」
と感じる生活になるか、大きくが変わることがあるんだなあと痛感する。

「自分の心の整え方次第で、周囲も変わってくる」
って、こういう理由なのかもね。
10 : 51 : 34 | ひとりごと | page top↑
本当の自分の心を探す
2007 / 10 / 12 ( Fri )
 周りを見ていて、
「自分の気持ちに正直に生きる…という単純なことが、案外一番難しいことかもしれない。社会や周りの意見に合わせすぎるあまり、本当の自分の気持ちや本当の自分が全くわからなくなってしまっている人は少なくないかも…」
 と思う。

 特に、自分の正直な気持ちに従って行動すると、周りに大混乱を招く時には、ついつい自分を押し殺して「自分が我慢すれば波風が立たない」という方向の選択をしてしまいやすい。でも、そのせいでかえってややこしい結果になることがある。

 岐路に立っている人たちには、
 「誰がなんと言っても、自分の気持ちが楽になる道、自分が幸せになれると思う道を選択した方が、一時的に混乱はあっても最終的にみんなが幸せになれるよ」
 とアドバイスするのだけれど、中にはあえて苦難の道を選ぶ人も少なくない。
 そういう人たちは、「これから体験する苦難が未来で役に立つ」という人生を歩くのだろう。でも、「苦難の中で学ぶ」という人生を選ばなくても、幸せの中でも同じくらいたくさんのことを学ぶことはできるのになあ…と思う。

 「もう、これ以上苦しい人生は嫌だ」
 と言いながらも苦難の道を歩いている人は、実は心の奥底で、
「これだけの苦難を乗り越えた私は偉い。苦難こそが人生に最高の学びをもたらす」
 と思っていることが多い。実は、その深層心理の「苦難好き」が知らず知らずのうちに、「苦難」を引き寄せている。

 世の中の賢人の多くもまた、
「苦労が人を育てる。苦労は買ってでもしなさい。人生は学びであり修行」
 というけれど、苦労せずに同じことを学ぶこともできるし、「修行ではない人生」を選んでももちろんかまわないのだ。(ただ、世の中には修業したり学んだりしたい人が多いみたいだけど…)

本当に楽に生きたかったら、まず、自分自身の中の「実は苦難が好き。苦難を乗り越える自分に生きがいを感じる」という思いを手放す決意が必要かも…。そして、代わりに、
「人生を楽しみながら、たくさんのことを学んだり、体験したい」
という言葉を口癖にしてみるといいかもね。すると、方法はわからなくても、なんとなくそんな人生に切り替わっていくんだよねー。

 でもまあ、私自身、そのことに気づくまで随分「難行苦行をしている自分が好き」という人生を歩いてきてしまったなあと思う。
自分自身でも「本当の自分」が思い出せないくらい、がんばっていろいろなことを身につけてきた。でも、苦労して身につけたもののほとんど全部はいらないもので、結局、純粋に「本当の自分」だけで生きるのが、一番楽で、なおかつ、知らず知らず人の役にも立つんだなあと、つくづく感じるこの頃。

誰かが、「旅の最終目的は、一番安心できる我が家に帰ること。人生も同じ」と言っていたけれど、「安心して「本当の自分」でいられること」が人生の終着点なのかもね。

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あなたはだあれ?
2007 / 10 / 05 ( Fri )
 先日、ピーターラビットの生みの親の「ミス・ポター」の映画を見に行った。

 内容的には「挿入されているピーターラビットのアニメがかわいくて、湖水地方の風景がきれい。でも、ストーリーは普通の伝記もの」という感じで、取り立てて特筆すべき映画ではなかったのだけれど…。
どうしたことか、途中から感情のスイッチが入ってしまい、後半から映画が終わるまで、涙が止まらず困ってしまった。多分、周りに人がいなかったら、叫びまくって号泣していたに違いない…(人がいてよかった!)

 でも、感動して泣いているというより、途中から「ポターさん」になりきってしまい、映画とは全く別のポターのセリフが次から次へと頭の中に浮かんできてしまい、私だけ別の映画を見ているような状態だった。
そして、涙は映画が終わっても止まらず、トイレに駆け込む始末。

 妹には、けらけら笑われて、
 「なーんだ。花粉症がひどくなったのかと思ってたら、ほんとに泣いてたんだ!
あの内容で、なんでそれだけ泣けるのー? それって、前世とかぶってたのかもよー。あの時代のお洋服も好きそうだったじゃない? 前世、ポターさんですか?」
 とからかわれる始末。

 確かに、自分でも「場違いなくらい泣いているなあ」という自覚はしっかりあった。
…というのも、「本当の自分」はひたすら泣きまくっている私を冷静に観察していて、
 「こんなに泣いている人は他にはいないなあ。他の人はもらい泣きくらい? 確かに、普通は、この場面では泣かないよねー。でも、実際のポターは涙をこらえて日々を過ごしていたかも…。
 きっと、イギリスのこの素晴らしい自然を残すためにも、ポターの人生はこの両親の下に生まれて、この弟が兄弟で、本が売れて、こういう人生を送る必要があったのかもねー。 なるほど、人生ってよく出来てるわー」
 なんて客観的に分析していたから…。

 いやー、こんなに奇妙な体験は、弟の結婚式以来!
ちなみに弟の結婚式の時には、母に憑依されていたような感じ。式の最中、半分我を失っていて、終わった途端に自分に戻った気がした。
今回も、「前世さん」だか「ポターさん」だか知らないけど、絶対誰かが憑依したに違いない(?!)…ということにしておこう! (ホントかなあ?!笑)
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