今日を生きる。「自分」を生きる
2008 / 01 / 25 ( Fri )
 以前、坂東玉三郎さんが西行法師を舞った時に、視線の先に本物の菩薩の姿が感じられたことがある。以来「どんな生き方をしている人なんだろう」と関心を持っていた。なので、先日のNHK「プロフェッショナル」の玉三郎さんの回はワクワクしながら見た。

 玉三郎さんは、小児麻痺を患ったため、子供の頃は歩くこともままならず、現在も両足の長さが違うというハンディを背負いながら舞台に立っているそうだ。体も心も丈夫ではなく、だからこそ、人一倍自分の体を大切にしているのだそう。
 天才の名をほしいままにしている今現在でさえ、毎回舞台に出る前は、
 「今日も一日無事に舞台が務め上げられるだろうか」
 と不安で一杯になり、終わると同時に、
 「ああ、今日も無事に終われてよかった」
 と思うのだとか。

 そして、「自分の体と心は人並みではない」と自覚しているからこそ、
 「周りの人と同じように、舞台が終わってから、飲みに行ったり遊んだりしていては、体が持たない。人と足並みそろえて舞台を務めるためには、みんなが遊んでいる時間、自分の体の筋肉をほぐして、自分の体を労わらなければ…」
 と毎日毎日、トレーナーさんに手伝ってもらって、体を徹底的に調えているのだそう。さらに、こんなことも話しておられた。
「体が弱いから、大きな目標を立てても、それがこなせるとは限らなかった。また、一度倒れて舞台に立てなくなったことがあるので、数年後に舞台に立っている保証はないと常に思っている。だから、いつも「今日」と「明日」しか見ていない。
「今日」を精一杯生きよう。「明日」精一杯がんばれるような「今日」を積み重ねよう。
それだけを思って生きてきた50年だった。「今日」と「明日」だけを見て、しっかり歩いてきた先に今の自分があっただけ。それでもここまで来られた。
だから、「今日」と「明日」さえ、きっちり積み上げていけばその先に必ず「未来」はあるんです」

玉三郎さんのようなすごい偉業を成し遂げた人から、
「大切に「今日」と「明日」を積み重ねるだけでいい」
という言葉を聞くと説得力がある。「そうかあ。やっぱりそれが大切なんだなあ」と生き方を実証してもらったような気がする。

ところで、玉三郎さんはこんな話もしていた。
「芸を突き詰めていくうちに、「自然」の美しさに目が行くようになった。空や花は美しくあろうとして、美しく存在しているわけではない。そんな「無意識の美」が、本当の美なのかもしれない。それを表現してみたい。そのため、能という芸能に注目してみた」

我が意を得たり!
日本画家の千住博さんも、「一番美しい色、一番美しい形は、すべて自然の中にある」と言っていたけれど、
「やっぱり、どんな道も極めていくと、そこに到達するんだー!」
と嬉しくなった。

玉三郎さんが歌舞伎の中にお能を取り入れて舞っている姿は、さすがに他の役者さんと一線を画していて、お能の型や雰囲気をよく掴んでいるなあと思った。でも、「こうしたい。ああしたい」という気持ちが先に立っているせいか、芯の部分がお能っぽくない。おもわず、
「どんなに「お能らしく舞おう」と思っても、玉三郎さんが「玉三郎という人生」を歩いてきた以上、歌舞伎の経験は舞のどこかににじみ出てくる。だったら、「完璧にお能らしく」と思わないで、できる限りお能のことを学んだら、後はいつもの玉三郎さんらしく舞えば、その方がずっとずっとお能っぽいのに…。
それに、必要以上に努力しなくても、「美しく舞いたい」という気持ちがある限りは、知らないうちに自然に前に進むのに…。その方がもっときれいに見えると思うんだけどなー」
とつぶやいて、ハッとした。
「無意識の美って難しいことじゃなく、ただ、ふんわり「自分が自分でいるだけ」なのかも! そういえば、とても美しく舞っている先輩方に片っ端から、「どんな風に舞っているんですか?」と聞いたら、返ってきた答えはみんな「何も考えてない。頭は真っ白」だったっけ。
私自身も仕事をしている時、診療が終わる度に鏡を覗き込むと、毎回表情が全く変わっている。私自身は何の感情も持っているつもりはないのに、相手に合せて勝手に表情が変わっているらしい。長年の積み重ねで、勝手に体と心が自然に動いいているのだろう。
きっと、舞の世界でも、たくさんの経験を積み重ねてきた人は、本人がただ心のままに楽しく自然に動いている時が、一番美しいのかもしれない。
 「椿」は「桜」になろうとはしないし、「チューリップ」は「ひまわり」になろうとしない。でも、それぞれのままでとても美しい。
 人間も無理をして他人になろうとしないで、自分が一番自分らしく、ふんわり生きている時が一番美しく輝んだろうな!」

 でも、しばらくしてから、こんな風にも思った。
「もしかすると、「木」や「花」などの「自然」と違って、「自分以外のものになりたい」と努力するのが「人間」の「人間らしくて美しいところ」なのかもしれない。
 自然体でふわふわ生きている人は、確かに、本人も気持ちいいだろうし、他人が見ても美しくて心地いい。
でも、マラソンで自分の限界を越えるまで頑張り過ぎてボロボロになってリタイアする姿だって、周りの人は強い感動を覚える。ただ、自分自身は悔しくてみじめで情けなく感じるかもしれないけれど…。
そして、天才の名をほしいままにしている玉三郎さんが試行錯誤する姿は、凡人の私たちを大きく勇気づけてくれる。それはそれで、「完成された完璧な舞」とは違った「その時の花(人)」の美しさなのかもしれない」

花は咲いた時だけが美しいわけじゃない。
寒い冬の時期をひたすら耐えて、芽が出ず、ひたすら、土の中に根っこばかりを伸ばしている姿だって、ある意味美しいし、愛らしい。
そして、ある程度根っこがしっかり伸びて、「春」という「時期」が来たら、必ず芽は出る。それが自然の流れだ。

人間も同じかも。
「優しくなれたらいいのに。執着を捨てられたらいいのに。がんばらずに肩の力を抜いて生きられたらいいのに」
と頭ではわかっていても、どうしても心と体が動かない時がある。そんな時には、思いっきり、突っ走って、ぐちゃぐちゃな人生を歩いてみればいい。それはそれで、本人は気に入らなくても、他人から見れば美しく見えることだってある。
そして、徹底的にいろいろやりきったら、無理をしなくても力を抜ける時期が自然にやってくる。その時が、その人の本当の「花」が自然に咲く時期なのかな・・・と思う。

 きっと、玉三郎さんの人生にはもっともっとふんわり美しく舞う日が来るだろう。でも、「汗水流して、試行錯誤しながら頑張っている玉三郎さん」という美しい姿は、今の今しか見られないものだ。
 「今日」しか見られない美しさ楽しさ。「今」しか体験できない美しさ、楽しさ。
 視点を変えたら、もっともっとある気がする。
 
 そんな「今」「今日」をいっぱい探せたらいいな。
23 : 59 : 28 | ひとりごと | page top↑
見方変われば…
2008 / 01 / 17 ( Thu )
 子供の頃、大人たちが、
 「霊なんてこの世の中にいない。そんなものが見える人は狂ってるんだ」
 と言っているのを聞いて、
 「本当にそうなのかなあ。確かに、世の中の大多数の人は霊が見えないし、私も見えるわけじゃない。でも、だからって霊がいないってことにはならないと思うけど…。
 もしかしたら見えない私たちの方が、能力がないだけかもしれないよね?」
 とよく思ったものだ。

 ところで、この間「はじめてのおつかい」というTV番組で、ダウン症の女の子のおつかいを見た。
 どうやらこの少女は、普通の人のように「記憶」をしないらしい。母親から頼まれた買い物内容がわからなくなると、空想の「もしもし電話」で母親に電話をかける。すると、伝言を思い出すらしいのだ。
 また、誰に教わらなくても、今現在の自分自身は何ができて、何ができないのかをきちんとわかっていて、できないことはきっぱり断り、できることは誰がなんと言ってもやり遂げるという強い意志も持っているようだった。
 そして、一人でおつかいを終えて帰ってきたとき、涙で出迎えた母親の頭を優しくぎゅっと抱きしめながら、こういった。
 「お母さん、おつかいさせてくれて、本当にありがとう!!
 どうして泣いているの? 何も心配することはないんだよ。ね、大丈夫だよ。お母さん」
 
その姿はマリア様か天使のように神々しくて、
「ああ、お母さんがこの子を守っているんじゃなくて、この子の方が無条件の愛をこのお母さんに注ぎ、守っているんだ」
と理屈抜きで思わされた。

人は彼女を「ダウン症。障害児」と呼ぶ。でも私は、
「私たちの『普通の人』の方がよほど障害者だ。彼女みたいに、しっかり天と繋がってないし、自分自身を100%信頼できてないし、「今」だけを生きていないもの…」
と思う。

 少女はひたすら「今」だけを一生懸命見て生きていた。「過去」を見て悔やんだり落ち込んだり自分を責めたりすることもなければ、「未来」を見て絶望したり不安に駆られたりすることもない。
忘れてしまったことは、「もしもし電話」で聞けば全部思い出せると信じて疑わない。
自分が他人からどう見られているかを気にすることもなく、今の自分を自然体で100%受け入れ、信じている。
「おつかいさせてくれてありがとう」と感謝の心を何気ない日常のすべてに抱き、さりげない暖かな愛で家族を常に抱きしめ見守っている…。

 少女の「誰に何を言われても、自分と周りの人と今日という日を100%信じて生きられる(たぶん、本人は信じることが当然だから、信じるという感覚すらないかも…)」という特性は、「普通の人」が持っているはずの「ある種の感受性」が欠落しているからこその素質かもしれない。そして、彼女の天性の素質は一生変わらないだろう。
でも、そうした特性を「障害」と見るか「天使の資質」と見るかで、一緒に暮らしている子は「障害者」にも「守護天使」にもなる。そして、どちらの見方を選ぶかで、世の中は全く違って見えてくるに違いない…。

人としてこの世に生を受けるということは、神という「万能なすべて」から分かれて、「部分」になることだという。ならば、私たち人間はこの世に生を受けた時点で全員、神と比べて「欠けたところ」を持っているはず。つまり、みんな「障害者」なのだ。
 
 だから、所変われば誰もが障害者と呼ばれてもおかしくない。たとえば、タコ型火星人の惑星に放り込まれたら、彼らからは
 「あら、かわいそうに…。こんなに醜い形の手足が4本しかないなんて。すごい障害ね。しかも、高い鼻に、小さな口に、白い肌。なんてブサイクなのかしら!」
 と言われるかもしれない(?!)

「現実」は変えられない。でも、「現実」をどう意味づけるか、どう捉えるか、どう見るかは自分次第。そういう意味では、自分の見方一つで人生はいかようにも創造できるんだろうなと思う。

 話はちょっと転じて…。

 高千穂の神楽を紹介するTV番組を見た。
 観光客向けに高千穂神社で毎晩行われている神楽ではなく、昔ながらの地元に伝わる郷土の祭りとしての夜神楽だ。
 夜神楽が舞われる日は、神様役の舞人たちだけでなく、観光客含めてすべての人たちが皆同じ神様なんだとか。そこで、神楽が舞われる家とその近隣の家々の人たちは、見ず知らずの人も含めてすべての人を「神様」として、家に招き入れて一晩中酒を酌み交わし、食事を共にするのだそう。
 
 「訪れる人はみんな神様。人も神様も本当はたいして変わらないなんだよー。この辺の人たちはみんな神様と一緒に暮らしてるのさ」
 と日常の中のさりげない習慣と伝統の中で言えてしまう土地柄って、本当にすごいと思った。

 でも、「神楽は男性だけの神聖な行事。女は注連縄の中に入っちゃいけない」というのはちょっといただけない。女だって、おんなじ神様なのにね。
 
でも、もし私が「男性だけの郷土芸能」を守っている地域に生まれて、「女はダメ」って言われたら、「そういうものだから仕方ない」ではなく「女も参加できるように戦っていこう!」でもなく、「男も羨ましくなるような新しい郷土芸能を創っちゃえ」と考えるだろう。

案外その方が好きな舞、楽しい芸が自由にできて面白いに違いない。なにしろ「伝統芸能」というのは、案外「しっかり伝承するため」に決まり事が多くって、面倒なことが多いものだから…。
伝統芸能のいいところだけちゃっかり頂いて、いらないところ、つまらないところ、今時のテイストに合わないところはどんどん改良して、思いっきり面白い芸を創る。
最初は世間も、「あんな奇抜なことをやって…」と変人扱いされるかもしれないけれど、面白くて楽しければ人の輪は広がるし、100年続けば立派な伝統芸能になって、始めた人は「偉い創始者」ってことになるもんねー(世の評判なんて、そんなもんよー。キリストだって、あの時代は変人扱いだったんだから。成功するか、幸せになるか、正しいときっぱりいいきるかすれば、「確かにそうかも」ってみんな思うもんよ)。

そうなったら、きっと、
「伝統という枠の中に縛られずに、自由に楽しいことができてよかった! 女に生まれてよかったなー!」
と思うに違いない。

今世の中に残っている伝統芸能だって、最初に出来た時はきっとそんなものだったと思うのよね。格式高く感じられる能だって、最初に演じた人は、
「フムフム、猿楽、田楽…どれも面白いけれど、洗練した形式を作ったら、もっともっと面白いに違いない。よしよし、新しくできた芸を能と名付けよう」
とかなんとか思ったのかもしれないし…。

どんな芸でも、最初に創った人というのは、
「こんな風に演じたら、観客はもっとワクワク楽しんでくれるんじゃないかな。ふふっ。次はこんな工夫をしてみよーっと」
と心の赴くままに、楽しく面白く美しく自分らしくって考えていただけかも…と思う。

たとえば、私なども人からよく、
「すごいカウンセリングの技術ですよね。相手によって器用に全部対応を変えて…。どうしたらそんなことができるんですか。コツは何ですか?」
と聞かれるのだけど、考えてやってることじゃないから、説明するのはとっても難しい。
確かに、「相手によって対応を変えている」のだけれど、意識してやってるんじゃなく、勝手に変わってしまうだけ。時に自分自身でも、
「なんで、この人に対してはいつもこういう対応なんだろう??」
と思うくらい。逆にいえば、
「みんな平等に同じ対応をしなさい」
と言われたら、どんなに努力しても絶―――対にできない!
だから、均一な医療の質を目指す病院には絶対に勤められないし、勤めたら「才能なし」って言われて落ちこぼれのレッテルを貼られるのがオチって感じ?

それでも、なんとか自分の行動を説明しようと、ハタと自身を振り返ってみると、一応法則性とかパターンはあるような気はする…。そこで、無理矢理法則性を探って、
「相手が「A」だったら、「A`」と返します」
と答えたり、マニュアルに書いたりして、他の人には伝えていく…というわけ。
でも、実際には、相手が「A」のときに「B」と返すことだって、いっぱいある。

だから、もし私が死んだ後、何十年か後の人たちが私の本を読んで、
「え! 森津流のカウンセリングでは、相手が「A」といったら、「A`」と返さなきゃいけないんだよ。この本に書いてあるじゃん! それを「B」って返すなんて、君はおかしい! 君は森津流の伝統を壊す気か?!」
なんて指導をする奴がいたら、絶対化けて出てやるっ!
「うらめしや~~~!! 『最後にはマニュアルに捉われず、自分の心が感じることを何よりも大切にするように』ってここに書いてあるだろうがっ! よく読め! この、ばかもんっ!」

…というのは冗談だけど、マニュアルとか指南書なんてもんは、大勢の人が同じことを効率よく真似するために創られるもの。創始者にはいらないもんよね。
だから、マニュアルをベースにしながら、いかにそれ以外の付加価値をつけていくかが、本当は大事なんだと思う。
ところが、何年も経つと「マニュアルを守ること=伝統を守ること」と勘違いする人が多いのは悲しいことよねー。

それでも、ゼロから何かを創るよりは、マニュアルや枠というベースがあった方が楽な人の方が多いのは事実。要は、生き方の好みでもあるかもね。
とりあえず、枠の中で無難に生きてみてもいいし、枠が苦しいなら、誰になんと言われようと、思い切って外に飛び出して自由に自分らしいことをしてもいいんだよね。

 どんな生き方でもいいから、明日の自分、一年後の自分が、
「他にも方法はあったけど、他の方法はやはり選べなかった。私には私が選んだ道が一番合っていた」
と思える生き方をしていればいいよねー。
23 : 43 : 55 | ひとりごと | page top↑
謹賀新年
2008 / 01 / 06 ( Sun )
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

いつも年末年始は仕事も家事も目いっぱいこなすもので「大変だから嫌!」と思いがちだった。でも、今年はかなりイイカンジで過ごせた。
「家事も仕事もちょびっとずつ。飽きる前に止める。8割で止める」と、「中途半端」を「まっいいか」と許容できて、根を詰めなかったのがよかったみたい。ついでに、昔の自分の活動量と比べたら、3割くらいしか動いていないのも余裕ができた一因。
このくらいの活動量だと、仕事も家事も日々の生活もどれも充実していて、しかもものすごく楽しい! 「やればできる」という活動量と「やっていて楽しい」と感じる活動量は違うなあ、思ったより自分はのんびり屋なんだなあ、とあらためて発見できた感じ。新年早々、自分を一つ発見できた! 嬉しいことだ!

また、今年は思いもよらぬ人から年賀状を頂いたのも嬉しかったし、コメント入りの年賀状をたくさん頂いたのも有難かった。口下手な差出人からだと、手書きの表書や一言のコメントだけでも「考えに考えて書いてくれたんだろうなあ。気にかけてくれているんだ」と感じられて嬉しいものだ。
つい「してもらえないこと」や「ないもの」ばかりに目が行きがちな昨今、自筆の表書の年賀状一枚で何日も幸せをかみしめられる自分自身がものすごく嬉しいと思う。

また、年末のTVで「誰かから毎日のように想われている人はとても幸せだ」と聞いて、「そっかー!! 私はそういう「幸せ」を人にプレゼントしているぞ! それって、とっても素敵なことかも!」と思えたこともすごく嬉しかった。
私は365日毎日欠かさず誰かの幸せを祈っているし、「しょっちゅう」だったらさらにもっともっともっとたくさんの人たちの幸せを祈っている。そして、たとえほんの少し関わり合っただけ人の幸せも祈っている。
たぶん、私に関わった人たちが私の人生をみたら、「えー、こんな私の幸せまで、こんなにいっぱい祈っててくれたの」と思うに違いない。それって、実は私にとってもものすごく幸せなことだったんだなあと、あらためて思う。

そしてたぶん、私自身もいろいろな人の人生を見たら、「こんなにたくさんの人が私のことを気にかけてくれていたんだ」と感激するんだろう。少なくとも、毎日仏壇と神棚に手を合わせて目いっぱい話しかけているわけだから、ご先祖様と神様は一日一回は私のことを考えざるを得ないだろうし!? (笑)

年賀状を見ながら、そんなことをあれこれ考えられるなんて、とても嬉しい新年のスタートだなあと思った。
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