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ドラマはすごい?!
2009 / 11 / 29 ( Sun )
なんだか11月は慌ただしかった。
とりたてて書くこともないので、安直にドラマの話。

先日、ドラマの影響力の凄さを妙な形で痛感。
都内某所で怪我人に遭遇。傷を観察しながら、
「あー、パックリ切れちゃいましたねー! でも、絆創膏があれば応急処置できるかな?」
と、のどかにつぶやいてたら、

「何バカなこと言ってるですか! こんなひどい傷なのに! 救急車呼ばなくちゃ」
と金切り声が飛んできた。周囲の人々は明らかに、
「ほっといたら、死んじゃうかも?!」
という感じのちょっとしたパニック状態!

確かに大出血だけど、なぜこの騒ぎ???…と思ったら、なんてことはない…
怪我の状況が、ドラマ「JIN」の話とそっくりだったのだ!

仕方ないので、
「あの、私、外科医です(元…だけどね)」
と嘘じゃないけど、ホントでもないことをいって、絆創膏で処置。
パックリ傷が開いていても、動脈が切れてなければ(簡単には切れないって! 
あれはドラマよ、ドラマ!)、絆創膏のビニールを縫合糸代わりに使って治せるのだ!

周りの人々はまだ不安そうだったけど、幸い(?)ケガした本人は、「JIN」を見てなかったらしく、
「心配なら外科に行って縫ってもいいけど、3日絆創膏を外さなければ、傷はくっつくから」
と説明したら、安心してた。

いやー、テレビの影響力ってすごい!
でも、どうせなら、いい影響力だとありがたいよね。

ところで、ドラマといえば「小公女セイラ」が何気ですごい!
役回りは、「いじめ役」「良い役」「両方を客観視する役」と、徹底的にくっきり
はっきり分かれているのだけれど、「なぜ彼らがそう行動するのか?」という理由も
それぞれ描かれている。なので「なるほど…確かに、すべての立場に一理ある!」と
思わせられるのだ。

たとえば、大富豪から下働きに転落した主人公が、
「私ってなんて不幸…」
と落ち込んでいる時に、下働き仲間から、
「そう言われちゃったら、その「不幸な暮らし」しか経験してない私達はどうなるのさ!」
と突っ込みが入って、いじめられる…という感じ。

また、よい子キャラがよいことをすればするほど、
「これって弱い子から見たら、イジメじゃん! 本人も周りもいじめてるつもりはないのに、
結果的にイジメになってるところは、救いようがないよ!」
と感じられ、よい子がすごく憎たらしく見える話まで出てくる!

さらには、怒っていじわるばかりしているホワイト家のお母さん(樋口可奈子、
小説のミンチン先生役)が回を重ねるごとに、とーってもかわいくて、
けな気に見えてくるから不思議…♪
すべてのキャラに対して「誰しも利点欠点がある。
人間ってみんな、愛しいよね」という視線が注がれているからかな?

イジメの問題をこれだけ明るく楽しく、しかも皮肉りながら、「原因と解決策」を
はっきり提示した作品って、そうそうないんじゃないかな?

「そっかー、世の中に一石を投じるのに、こういう方法もあるのかー」
とひたすら感心!
メインキャスト以外は演技力が乏しく、学芸会の延長になりがちな中、ここまで本質
を表現できるなんて、脚本家と監督はかなりすごい!

はてさて、原作の結末はそのままに、どうやってこのいじめドラマに終止符が打たれ
るのか、ちょっと楽しみ♪
23 : 21 : 16 | ひとりごと | page top↑
物語
2009 / 11 / 01 ( Sun )
この年になって、あらためて昔読んだ世界名作物語とか、
日本昔話などを読み直してみると、実に考えさせられることがある。

 たとえば、「舌切雀」。
 雀をかわいがるおじいさんはいい人で、雀の舌をちょん切ってしまったおばあさんは
悪い人…と単純に思っていたけれど…。
 
 実は、このおじいさんとおばあさんって、もともと超仲悪かったんじゃないの??
 だって、このおじいさん、おばあさんの意見を無視して、雀を飼い始めた上、
雀がおばあさんの仕事の邪魔をしたことは無視して、雀の肩を持ってるわけだし…。
 それに、おじいさんが、おばあさんの性格をちゃんと把握していれば、
雀を置いて出かけないよね?
 もしかすると、おばあさんの性格に問題が生じたのには、
暖かな夫婦関係を築いてこなかったおじいさん自身にも問題があるとか?!

 ちなみに、雀をコギャルに置き換えると、実に現代的なストーリーになる。

 「おじいさんは会社で仲良くなった茶髪ギャルを自宅に連れてきました。
ギャルは毎晩歌って踊っておじさんを楽しませてくれるので、
おじいさんは食事とお酒をふるまいました。
 ある日、おばあさんが仕事用に炊いたご飯をギャルが勝手に食べてしまいました。
怒ったおばあさんは、ギャル自慢の金髪をバッサリ丸刈りにして追い出しました。
 可哀想に思ったおじいさんはギャルを探しに、キャバクラ「雀のお宿」に行き、
ごちそうとお土産をもらって帰ってきましたとさ…」

 …だったら、おばあさん、怒って当然だわ…。
 
 子供の頃、かなり好きだった「小公女」も同じかも…。
 ミンチン先生にいじめられて、健気にがんばっているセーラって偉い、
いじらしい…って思っていたけど…。

 ドラマでバカバカしいくらい型通りのイジメストーリーが展開されているのを見て、
 「そっかー!! セイラ(TVドラマはこの表記ね)って、このキャラクターだからこそ、
いじめられるんだー!!」
 と、あらためて大発見!

 「貧乏にも、不幸な運命にも、みんなのいじわるにも負けないっ!」
 と「負けない」という言葉を使った瞬間、無意識に戦いを挑んだことになり、
知らず知らず「敵」を創り出してしまう。
 そして、
 「ああ、私って、どうしてこんなにグズでのろまなの…」
 と自分を卑下する気持ちがあると、相手の「責め言葉」が心にグサッと突き刺さる。
でも、自分に「非」を感じなければ、どんなに辛辣な言葉を浴びせられても、
 「そっかー…。この人、子供の頃からこういうキツイ言葉を浴びせられて育ったのね。
今でも、こうやって自分自身を責め続けているんだー。大変ねー」
 と相手の「大変さ」に感じ入ることはあっても、自分を責めることはないだろう。

 さらに、
 「どんな環境に置かれても、立派に、強く生き抜いてみせるっ!」
 と自分の限界以上に無理して頑張るから、「いい子ぶってる」ように見えて
反感を買うことにもなる…。(私もやってたよ…)

 これが違うキャラだったら、健気な根性物語は成り立たず、全く別の物語になる。

 たとえば、同級生にイジメられて水をかけられたのが、セイラじゃなくて、
さかなくんだったら?
 「わあっ♪まさに、水を得た魚ですねー。きーもちいー♪ 
ブルンブルンって跳ねまわっちゃいますぅ♪」
 とかマジで言われたら、イジメた方はフリーズして二の句が継げないかも…。
 他にも、香取くんだったら? 天海祐希だったら? 和田あき子だったら?
オードリーの春日君だったら?…
 …とめくるめくメチャクチャなキャラクターを当てはめて、
全く違うストーリー展開を頭の中でどんどん膨らませていると、楽しくってやめられなくなる。

 まあ、実際に、自分自身が大変な状況にハマっている時には、
そんなことは言ってられないだろうけど…。
 でも、現実でも煮詰まってしまった時には、ドラマよろしく、
 「もし、同じような状況に陥っているのが、別の人だったら、
どんな風に対処するんだろう?」
 と考えると、案外、とんでもなく突飛で楽しい解決方法が見つかったりするかもね。

 ちなみに、我が家では介護度がアップしている愛犬ルナ子ちゃんを相手に、
「ひまわり特養老人ホームごっこ」をやっている。
 シリアスな問題が起こっても、「ごっこ遊び」にしてしまうと、結構笑い飛ばして
楽しく介護ができる。なかなかグーだ。
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