あれこれ
2010 / 08 / 09 ( Mon ) 最近、テレビ、本などでいろいろな人から刺激を受けている。
まず、角田光代。ちょっと前に読んだ「八日目の蝉」がとても面白かったので (特にドラマではあまり描かれなかった後半)、新刊「ひそやかな花園」を買ってみた。 予想以上によかった。 中心に流れている主題は「非配偶者間人工授精にまつわる問題」。 知人に生殖医療に関わっていた産婦人科医がいたので、 この本に書かれているような問題が起こることは、医者になったばかりの頃からわかっていた。 それよりも、「なるほど…」と思ったのは、最後の話のまとめ方。 「生きているって、良かれ悪しかれ「自分」という世界を体験することかもね。 「自分」という視点は、自分がいなければ絶対に存在しなかった貴重なもの」 というスタンスには共感した。 このスタンスって、人形師の辻村寿三郎さんが語っていたことと似ている。 辻村氏いわく、 「私は、ドラマというか物語を、人形という形の中に結実させているんです。 人形には魂がないように見えます。 でも実は、形を成して、この世に生み出された時点で、 すでに一つの運命を持っているんです 人間も同じです。 でも、人形と人間が決定的に違うのは、人形は自分の運命を選べないけれど、 人間は自らの力で運命を選び取れるということ。 それだけでも、人間に生まれたということは幸せなことだと思うんです」 確かに架空の存在とはいえ、ミッキーだって、桃太郎だって、 創られた時から一つの世界を揺るぎなく創造している。 ところで、体外受精の担い手であるエンブリオロジストがこう語っていた。 「実は、卵子や精子にも意思があるんです。人の力で、 「この精子を受精させよう」と思っても、精子が嫌がったり、 逆に「自分を受精させてくれ!」と主張するものがあったり…。 だから、人の手が加わっている人工授精での妊娠も、 最後は神の領域に委ねられているんです」 そんな話を聞くと、 「もしかすると、非配偶者間人工授精によって、太古の昔では、 絶対にあり得なかったDNAの組み合わせが現代では可能になったのかも。 「このDNAの組み合わせの体に生まれたい」と思う子供がいるからこそ、 非配偶者間人工授精は成立するのかも…」 なんて思ったりもする。 そして、最後に雅楽師、東儀秀樹さんが言っていた言葉。 「ボーダーレスという言葉を好む人がいるが、私はアウト・オブ・ボーダーの方が好き。 境界線というのは、必要だから存在するのだと思う。 一番身近な境界線は、自分と他人。 本当に大切なのは、まずボーダーの内側、自分自身を思いっきり大切にし、 自分を楽しませ、しっかり自分を築き上げ、その上で余ったエネルギーで 人と関わっていくのがいいんじゃないかと思う。 そして、自分の中の感動というのは、心以上に細胞が感じているのかもしれない」 結局、突き詰めていくと、人生で一番大切なことって、 「今回の「自分」はどういう特徴と視点を持って生まれてきたのか…を理解し、 「自分」という存在をどのくらい楽しみ、味わい尽くせたか」 ってことなのかもしれないなあと思う。 角田さんの本に、 「何かを始めることで大切なのは、結果を出すことじゃない。 「世界」が生まれるということ。人が生まれるとは、無の中によいも悪いも含めた 「新しい世界」が創られること。 自分が見て、体験してきた世界は、自分が存在しなければ、存在しえない」 というような言葉があった。 自分が生まれ、動くことで、「新しい世界」が一つ始まるのは、 なにより面白いことかもしれない。 そうして、あらためてメーテルリンクの「青い鳥」を読み直してみると、 その奥深さに感動する。 本当は「青い鳥」は我が家にいる。必要なことは「DNA」や「細胞」に 最初から書き込まれている。 でも、「我が家には青い鳥がいない」と思い込んで旅に出ることで、 いろいろなありとあらゆる経験ができる。 その結果、最後に青い鳥が見つかるかどうかなんて、実はどうでもいいことなんだろう。 青い鳥が見つからなくても、「あー面白かった!」という体験はたくさんできたのだから…。 |
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