ドラマに学ぶ
2011 / 05 / 21 ( Sat ) 韓国歴史ドラマ「風の絵師」に続いて、「薯童謡(ソドンヨ)」にハマった。
「自分の出自を知らず、平民として育った百済の王子が 敵国の新羅の姫と恋仲になり、苦難を乗り越えながらも愛を貫き、王になる」 という話。 主人公二人の性格は気に入らないけど、ストーリーの面白さと、 描かれている「物作りの世界(オンドル作り、紙や布作り、結婚式や仏教行事のやり方)」 に興味を惹かれて、なんとなくズルズル4巻くらい見ているうちに、すっかりハマり、 途中からは一気見してしまった…。 この時期に見たせいか、「思いっきり未来型思考、未来型行動パターンのドラマだ」 と感じた。 なにしろ、二人の主人公の性格がぶっ飛んでるのだ。 たとえば、なかなか答えの見つからない深刻な人生問題にぶつかった時には、 「答えがでないなら、考えずに体を疲れさせて、ともかく寝ちゃおう! 」 と爆睡して、スッキリしたら、 「とりあえず、毎日を過ごしてればいいよ。そのうち何とかなるから…」 って結論に達する…とか。 命がけの大事業をすることになった時も、 「未来がどうなるか、わかんないなら、後悔ないように、 休暇をもらってとことん遊んじゃえ!」 と、マジで雪だるま作ったり、雪合戦したり、料理を作ったり…と、 とことん遊ぶことに専念。 パートナーを危険にさらすような状況になっても、 「相手のために…と身を引いたり、隠し事をすると、お互い守り合えないじゃない? 大変な荷物は一緒に背負おうよ」 「とことん付き合ってもらいます。どんなに迷惑がかかっても、 その結果、命の危険にさらすことになっても…」 「難しい問題だけど、これはあなたの問題だから、あなたが解決して。 私は口出ししません」 と隠し事はせず、大変なことをさらけ出し合い、巻き込み合い、支え合いながらも、 お互いの仕事のやり方には干渉しない…とか。 他にも、どんなに周りの人たちが困って、文句を言い、責め、「やめてくれ」と抗議しても、 「だって、心と体が動かないんだから仕方ない。 罪悪感で行動してもいいことないし…」 とあくまでも、自分の心のままに動く…とか。 マイナス感情も、 「怖がったり、恐れたりすることも必要。 怖がったり、恐れたりしながら、そのままやっていけばいいんじゃない? それが案外素晴らしい生き方を生むし…」 というスタンスで、あっさり共存しちゃうし…。 いやあ…凄すぎ! 「ひまわり」的には、あっぱれ、超花丸の生き方!! たぶん、演じている俳優さんのもともとの性格が、「全く悩まないぶっ飛んだ性格」 だったら、「こういう楽天的な人、いるよねー」で終わってしまった話だろう。 でも、俳優さんの地の性格がものすごーくもんもんと悩む系なのに、 「考えるけれど、悩まないという生き方」をするから、 「す、すごいっ!」 と感じるのかもしれない。 ちなみに、ドラマの中では、 「悶々と悩み、苦しみ、試行錯誤し、努力して苦労して生き抜く」 「相手や周りの人のことを考え、問題を一人で抱え込み、黙って一人で耐え抜く」 という「古い価値観、古い生き方」の超お悩み系キャラもいっぱい出てくる。 個人的にはやっぱり、お悩みキャラに同情、 「そうだよねー。そうそう。悩むよねー、苦しいよねー、辛いよねー」 と共感し、魅力的な生き方だなあ…と感じる。 たぶん、 「このドラマの中で、どの役をやりたいか」 と尋ねられたら、きっと、思いっきり負け組のキャラを選ぶに違いない。 たとえ、不幸な最後が待っていていようとも…。 人が、人生を選ぶ時も同じなのかもしれない。 生きている時は、「大金持ちになって、大成功して、すごく幸せな人生を歩きたい」 と思いがち。でも、あの世でドラマを見るように、この世のいろいろな人生を見ていると、 「どうして私ばかりがこんな思いをするのだろう」 と絶望し、嘆き悲しみ、不幸極まりない人生であっても、 「この人の生き方、かっこいいなあ。魅力的だなあ。 私もこんな生き方にチャレンジしてみたい」 と思う生き方があるかもしれない。 「そっか…不幸や絶望って、ドップリ浸っている時は辛いけど、 客観的に見たらとっても楽しい娯楽なのかもしれない。 だから、実際の人生でも、不幸な最期を迎える人もいるのかも…。 そう考えると、不幸な人生も悪くないし、 そういう人生をあえて選ぶ人はたくさんいるかもねー」 とドラマを見て、思いっきり納得したのだった! |
くつろぎ
2011 / 05 / 09 ( Mon ) 地震の影響もあってか、愛犬ルナ子の徘徊、アトピー、下痢、嘔吐、下半身麻痺
…などの症状がまた一時悪化。 「いよいよダメか?!」と思わされた時もあったものの、 弱いように見えて、実はすごくたくましい本質は変わらず…。 心配掛けて、かまってもらうだけかまってもらったら、今回も程よく復活した。 やれやれ…。 そんなルナ子に付き合いつつ、地震の余波を客観的に眺めながら思ったことがある。 「生きるって、晴れや雨や嵐や災害や四季を味わう中で、 時に喜んだり、揺れたり、折れたりしながらも、芯の部分でくつろいで、 ゆったり根を生やして、寿命が尽きるまで木や草のように、ただ存在してればいいんだなあ」 ということ。 また、ようやく腹の底から実感として、 「一人一人がドラマの主人公であり、なおかつ、 他の人のドラマの脇役を演じながら生きているのだ」 ということが納得できてきた気がする。 随分昔から、頭ではわかってたことなのに…。 頭で理解することと、腹の底で納得することって、 随分差があるんだなあとつくづく思う今日この頃…。 |
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