違う景色
2012 / 04 / 16 ( Mon ) 先日、久々にホスピス関連の取材を受けて、
自分の中で何かしっくりこないものがあることに気づいた。 よくよく考えるに、違和感の原因は、「幸せな死」とか 「幸せな生き方」に興味がなくなったためらしい。 たぶん、知らず知らずのうちに、日々の生活で、 「どっちが心地いい? どっちが自分好み? どっちが自分らしい?」 と、常に「自分好みで心地いいもの」を選ぶようになったら、 「幸せかどうか」がどうでもよくなっていたのだ。 なるほど、常に「自分好みで心地よい状態」にいたら、それこそが「幸せ」だから、 「どうしたら幸せになれるか」なんて考える必要はない。 本当の幸せは、「幸せ」を全く意識しない状態のことかも…と、あらためて認識した。 さらに、「何が自分にとって心地いいか」なんてことも考えず、 「心地いいもの以外をなぜ選ぶの?」 ってスタンスで生きられたら、もっと「幸せ」なんて意識しなくなるのだろう。 でも、逆に「なぜ心地いいもの以外選ぶの?」と思う人は、 「心地いいものを選べることは、いかに幸せなか」 がたぶん理解できない。 そう考えると、より幸せを深く意識するには、やはり 「心地いいもの」と「心地悪いもの」、正反対のものを とことん体験することは必要不可欠。 だから、「幸せを深く味わいたい人」や「幸せについてとことん考えたい人」は、 必ず「不幸」や「心地悪いもの」や「絶望」などを体験するんだねー。 |
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