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今昔
2012 / 07 / 07 ( Sat )
少し前に、大学の同窓会へ行った。
卒後20数年ともなると、皆それぞれにいろいろな人生を歩いている。
子供から大人への過渡期を共に過ごした人々が、その後どんな人生を歩き、
どんな風に変わっていったのかは、とても興味深い。

一番強く感じ入ったのは、それぞれが自分にとても合った人生を歩いていたこと。
「チューリップの葉っぱ」が育っていた人は、チューリップの花を咲かせ、
桜の苗木だった人は桜を咲かせていた…。
当たり前のことだけれど、バラの苗木にコスモスが咲くことはない。
(接ぎ木すれば別?!)

でも、「バラはコスモスにならない」という当たり前のことが、
昔は、心の深い部分で納得できなかった気がする。

「あすはヒノキになろう」
と努力すれば、ヒノキになれると思っている「あすなろ」の樹…
なーんて話もあったけど、
「トルコキキョウだって、ちょっと見はバラに似てるんだから、バラになれるかも?」
と突っ張っていたところが多々あった。

でも、この年になって、同窓会でいろいろな人生を生きてきた仲間を眺めていると、
「なーんだ♪
必死になって、『すごい人生を歩こう』とか、『すごい人物になろう』としなくても、
自分の気持ちを大切にして、日々を過ごしていれば、ちゃんと予定通りの花は咲
くんだなあ。
 心が止むに止まれず『ともかくがんばりたい!!』と思うならがんばればいいし、
がんばるのは性に合わないなら、『ふわふわ』とか、『のーんびり』とか、
『ひたすら楽しく』って感じで生きるのもいい。
 それでも、花は咲くし、咲いた花は予定通りのもの
(ただ、本人は「花が咲いた」との認識がないことは多々あり…)。
 その人の存在そのものの中に、すでに豊かな個性と人生設計図が
ちゃーんとあるんだなあ…」
と納得し、ふんわりした気持ちになった。
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