小さな師匠
2015 / 06 / 04 ( Thu ) 毎度毎度の話になるが、柴犬ゆめちゃんの「分け隔てなく人を愛する力」には、
ほんっっとに頭が下がる。 「こいつは、私の人生最大の師匠かも…」 と思うくらいだ。 なにしろ、老若男女、子供、赤ちゃん…はもとより、 明らかに怒りメラメラの真っ赤なオーラを出しまくっている人や、 酔っ払ってひとりごとを言いまくっている人、 パワフルなフレグランス漂うホームレスさんでも、分け隔てなく全く同じように、 「おはようございますぅ♪ お元気ですか?」 と満面の笑顔ですり寄っていく! お蔭で、 「ひゃあぁぁ…! またまた、寄ってっちゃったよー! マジ、勘弁! 神様、仏様、どうかっっ面倒なことになりませんようにっ…!!」 と内心ヒヤヒヤしながら、必死で神仏に祈るハメになることもしばしば…。 こんな時、昔の私だったら、ビビりながらも、 「ゆめちゃんを見習って、すべての人に対して、同じ笑顔を振りまけるようにならねば!! 病院で患者さん相手なら、私だって平等に接することができるんだから、 私生活でも同じことができるはずっ!」 とか思って、がんばったことだろう。 でも今は、そんな若々しいチャレンジ精神を発動するエネルギーは無い。 「どうあがいても、根は臆病者の私が、私生活でゆめちゃんのような能天気な笑顔を 振りまくのは、絶対無理!!」 …とはいえ、なるべく面倒は避けたい!! で…、こんな時には、自分の中の「ビビりで弱虫の私」には後方ベンチに隠れてもらい、 「いろいろなことに興味津津の私」に前面へ出てもらって、対処することにする。 おじさん「(ムッとした調子で)やいやいっ! なんなんだ、この犬!」 ゆめちゃん『(にこにこ)おはようございますぅ♪ いい天気ですねー』 私 「おはようございます。 この犬、親切で、優しくしてくれそうな人を見かける と、すぐ寄ってっちゃうんです」 以上の会話(?)で、ほぼ100%問題は起こらないばかりか、 50%の確率で怒りオーラを出していた人も、 「そうか、そうか。おじさんが好きなのか―。いいやつだなー」 と、ニコニコ笑顔に豹変してしまう。 恐るべし、ゆめ菜パワー!! ちなみに、先代の犬ルナちゃんを連れて、同じ様な状況に遭遇した時には、 「なるべく、面倒は避けよう」 と知らんぷりして通り過ぎていた。 …にもかかわらず、トラブルに巻き込まれることも少なくなかった。 レ・ミゼラブルの話じゃないけど、 「善人だと思って接すれば、人は皆、善人の部分で接してくれる」 のだと、ゆめちゃんのお蔭で実体感! …と、ここまで聞くと、 「ゆめちゃんパワーって、素晴らしいわね♪」 と思いそうだ。 ところが、ところがどっこい、そうは問屋がおろし大根♪ このゆめちゃんの「無償の愛」、時として別の問題を引き起こすことがある。 実は、世の中には、 「過剰過ぎる無償の愛は、重くて、気後れする」 と感じる人も多々いるらしい。 特に、 「佳きものをもらったら、必ずそれに見合う代価を返さねばならない」 と思っている律義な人たちにとって、「無償の愛」はかなり重いらしい。 こうした律義な人々が、ゆめちゃんパワーに触れて、 満面の笑顔&チューの嵐の「好き好き攻撃」を受けると、めちゃくちゃ気後れしたり、 罪の意識にさいなまれてしまう。 「なんで、こんな私なんかを好きになってくれるの?!」 「こんなにいっぱい愛想を振りまいてくれても、おやつは持ってないのよ。 ごめんなさい」 「そんなに好きになってくれても、うまく遊んであげられないのよ…。 申し訳ないわね…」 という感じで、めちゃブルーな気分になる人も少なくない。 そんな現実に遭遇すると、しみじみ、 「愛って、かならずしも「=幸せ」にはつながらないのね…」 と、人生の奥深さを感じてしまう…。 たかが、犬の散歩。されど、犬の散歩。 なかなかに人生哲学を考えさせられる時間である…! ただ、ゆめちゃん的には「愛」も「好き」も「笑顔」も、単に、 「軽やかに通り過ぎていく一瞬の喜び」 に過ぎないみたい。 ゆめちゃんが「好き好き好き♪」と言った時、相手から、 「あら、ワンちゃんだわ」 とわずかでも反応が返ってくれば、本人は十分ご満悦。 「愛想のいいワンちゃんねー。いい子ねー♪」 とかまってくれたなら、超ハイパー大大満足&大喜び。 そして、たとえ何の反応がなくても、ゆめちゃんは全く気に留めず、 サッサと通り過ぎてすぐ忘れ、新たなターゲットを見つけては笑顔を振りまくだけ。 すべては「通り過ぎていく一瞬の風」なのだ。 うーん、諸行無常だねえ…。 本当に悟ってる人って、ゆめちゃんみたいな人だったりして?! |
| ホーム |
|