学びは続くよ、どこまでも…♪
2016 / 07 / 06 ( Wed ) 商売柄&自分の人生哲学の嗜好柄、普通の人よりは、
心と体に優しい生活を追求してきたつもりだったけれど…。 お年頃の身体さんは、「もっとギアチェンジをして欲しいなー」と思っていたらしい。 なんとなんと、突発性難聴にかかってしまった! 症状が軽く、日常生活には問題ないレベルだったのは幸い。 しかし、実際に「患者目線」になって、知らない大病院に行ってみると、 発見することが多い多い…。 病院全体が、広すぎてどこが何だか分からないやら、 今時のハイテク受診システムにはびっくりするやら、 案外、お医者さんや看護師さんの指示の意図がわかりにくいやら…。 見慣れた病院の風景も、視点が変わると本当に違ったことが見えてくるものだ。 そして、何より痛感したのは、やはり患者の立場は弱い!!ってこと…。 いろいろ理解している私でも、医者から「検査や治療は、こうしてこうやって…」 といわれると、ついつい言われるがまま「はい。はい」と返事をして、 フツーの患者さんのようにオロオロした気分&思考回路になるのだから…びっくりだ! 特に考えさせられたのは、 「聴神経腫瘍の可能性もあります」 と言われた時の事。 「そういや、そういう可能性も高いんだった! もしそうなら手術かー! えらいこっちゃ!」 と一応、人並みに十分慌てた。 でも、そこは元ホスピス医。しばらくしたら、我に返り、 「病気って、自分の中の大変を一番引き受けてくれている所。 身体は病気を通して、何か訴えたいことがあるはず。 中でも腫瘍は、半分グレかけた自分自身。グレかけた人ほど、愛情をかけることが必要。 切り捨てて終わりっていうのは、やっぱ違うよなー。 うん! そうだ! 腫瘍であろうが、ただの突発性難聴であろうが、関係ない! 病気は自分の大切な一部! ここでとことん、愛して、ケアして、共に生きてこそ、 今までの生き方を自分の体と人生を通して集大成&体現できるってもんだ! もう一回、しっかり、人生の後半戦にふさわしい自分に優しい生活を考え直さなくちゃ!」 と思いたつことができた。 でも、普通の人は病気になったからといって、急にそんなところまで考えられないだろう。 そうなると、医者の言葉を鵜呑みにして、右往左往するのは仕方ないことだなあ…と あらためてつくづく思う。 それにしても…。 いやー、私よりはるかにご年配の方々が、こういう大変かつ、 分かりにくく面倒くさい病院受診&治療をこなしているのかと思うと、あらためて頭が下がる…。 炎天下の中、何時間もかけて毎日通院なんて、それだけで逆にどんどん病気も悪化しそう…。 それに、内服薬の管理なんかも、お年頃の初心者病人にはめちゃ大変! 薬なんて飲み慣れないから、しょっちゅう飲み忘れそうになる。 薬剤師さんが一回ずつ朝昼晩、薬をまとめて分包してくれるっていうのが、 いかに有りがたいシステムなのか、身に染みて痛感するわ…。 ところで…。 片耳だけ不自由になったお蔭で、 「『音が聞こえる』というのは、こんなに素晴らしいことだったのかあ…!!」 ということにもあらためて気づかされた。 それまでは、「ひまわりの向かいの道路の騒音がメチャうるさい」とか、 「家の真裏の工事はうるさい」としょっちゅう思っていた。 でも、よくよく考えてみたら、立場が変わって、地震で家が倒壊した地域に住んでいたとしたら、 「ああ、車の音がする。道路が通って救援物資が来るんだわ。ありがたい!」 「家を建てる音って、『新しい日常が取り戻せる♪』っていう幸せの音ね」 と感じ、騒音とは感じないだろう。 音は音でしかない。 音に「騒音」というレッテルを貼っているのは、自分の心なんだわね~と、 あらためてしみじみ感じたり…。(でも、うるさいものはうるさいけどさ。笑) なにより、一番痛感したのは、この世の中に溢れている美しい音の数々。 鳥の声、雨だれの音、木の葉の葉ずれの音、せせらぎの流れ…。 聞こえにくくなってみると、すごく素敵な美しい音でこの世の中は溢れていたことに 気が付いた。 こういう幸せな音を意識せず、ありがたみも感じずにいたのは、実に実にもったいなかった! 世の中、大変なものを見ればきりないけれど、 それと同じくらいステキなものもたくさんたくさんある。 どうせ一日を過ごすなら、できるだけステキなもの、美しいもの、 幸せなものに五感と心向け、自分の人生の中に取り込んでいくことに時間を使いたいなあ… と、今回あらためて痛切に思いなおさせられた。 「大変なこと」は嬉しくはないけれど、「大変」が起こった時には、 必ず、たくさんの大切なことに気づかせられる。 起こることは必然性がある。起こることは起こったままに受け入れ、 新しいスタンスを構築して行こうっと! |
| ホーム |
|