光を見つめる
2016 / 09 / 06 ( Tue ) 雑草と呼ばれている植物は、種を蒔かなくても、土のあるところはもとより、
アスファルトの隙間ですら根をはり、グングン育つ。 害虫にも負けずに、どんどん勢力を伸ばして成長する。 でも、温室の植物は、少し温度や水の量が変わったり、病気や虫が発生したりすると、 すぐにダメになってしまう。 以前成功した方法で育てても、土壌や天候や災害、はたまたその年の苗の性質など、 ほんのちょっとした条件の違いで育たなくなってしまうらしい。 専門家が全身全霊を掛けて育てても、植物ですらうまく育たないことがある。 ならば、人を育てることはなおさら…だろう。 子供の性質や親の性質、親との相性、生育環境…などはもちろん、 他にも、どんな学校に通うか、どんな先生や友人に出会うか、 どんな職場でどんな仲間に出会うか、どんな人生体験に出会うか…。 「もしあの時、あのことがなければ、自分の人生は変わっていたに違いない」 という経験をした人は少なくないだろう。 私もそうだ。 「あの時、一歩間違ったら、荒んだ人生を歩いていたかも…」 と思う岐路はたくさんあった。 ただ幸いなことに、私の周りには、大変な時に「何気ない形で助けてくれる人」がたくさんいた。 そうした人たちは、「批判」や「叱責」をせず、心に寄り添い、認め、支え、光をあててくれた。 それをきっかけに、自分自身もたまたま「方向転換を決意できた」から、 今の人生を送っているのだと思う。 高畑親子の報道を見ていて、 「この事件の根っこは、今、たくさんの親子が抱えている問題と同じ。『 親の育て方が悪い』のではなく、むしろ、 『一生懸命過ぎるくらい子育てに手を掛けてきた熱心な家』に起こりがちな問題だ」 と感じた。 教育熱心な親であればあるほど、 「どうやって、どこまで愛情を掛ければいいか」 「どこまで厳しくすればいいか」 「どこまで自立を促し、どこをサポートすればいいか」 「どうやって、自分と相手を信じていけばいいか」 というバランスのとり方に日々悩み、迷走する。 その結果、たまたまうまくいかないと、親子共に自信を失ってしまう。 さらにそんな時に、批判や叱責の言葉を浴びせられ、追い詰められると、 心はボロボロに傷つき、ますます自信を失ってしまう。 自信を無くしたり、傷ついたりすると、人は問題を起こしがちになる。 「ますます必死にがんばりすぎて、かえって周りとの摩擦が増える」 「認められようと、過剰な行動を起こしがちになる」 「ストレスが溜まって、爆発しやすくなる」 「自分がされたことと同じ事を(時に、パワーアップさせた形で)、他人にする」…。 「人を傷つけてしまう人」というのは、実は「人から傷つけられてきた人」なのだ。 だから、問題を起こした人を「批判、叱責」し、「強制的に従わせる」ことだけで 問題を解決しようとするのは、根本的な解決にならない。 むしろ、「批判や責めの言葉」が、知らず知らず「言葉の暴力」となって、 窮地に立たされた人をさらに追い詰めて、さらなる不幸を招きかねない。 言葉の暴力は、身体的な暴力と同様、人を深く傷つける。 ただ、もしかすると、「批判、叱責する人たち」もまた、ずっと「批判、叱責されてきた人」で、 それ以外の解決方法が見つけられないのかもしれない。 そして、失敗した人たちを批判し、責めることで、「起った問題」を自分と切り離し、 「自分は、あの人たちとは違う! あんな風には絶対ならない!」 と思い込むことで、自分自身を守ろうとしているのかもしれない。 誰かを傷つけると、相手に一生消えることのない傷を負わせてしまうことがある。 それだけでなく、関わりのあるたくさんの人の心にも傷を残してしまう。 さらに、「傷つき、傷つける」という負の連鎖が続いてしまうと、数え切れないほど たくさんの人が不幸になる…。 そして、なによりも、自分自身の「心と体と魂」が深く深く傷つくことになる。 だれも、幸せにならない。 だからこそ、「人を傷つけてはいけない」のだ。 失敗をした時、大きく道を誤った時、その後に「より佳き道、佳き方向性」を 探し出すことはとても難しい。 でも、闇に出会った後、「闇だけを見つめ続けていくのか、 光に焦点を当てる努力を続けるのか」で、その後の人生は大きく変わってくる。 大きな闇に出会った人は、必ず、それを包んであまりある大きな光を宿すことができる力も 持ち合わせている。 「批判」は闇を強め、「理解」と「信頼」は光を大きくする。 すべての人々が幸せに向かうためには、難しい道ではあるけれど、 「批判や責めの言葉」は少し横に置いて、「新しい佳き道筋に光をあてられる言葉」を 探していきたい。 高畑親子がこの先、この問題を乗り越えて、同じ様な問題を抱える人々の心に 光をさす存在となり、たくさんの犯罪を未然に防ぐことに貢献できたなら、 それは何よりの「贖罪」になると、私は信じたい。 ≪柴犬ゆめ菜日記≫ 最近、純子姉はスーパーなどで怪しい行動をしている。 …なんと! 周囲の様子をこそこそ伺いながら、こっそりダストボックスを物色しているのだ! まるで、コンビニの期限切れ弁当や資源ごみを物色しているおじさんのよう…。 なんで、そんなことしてるかっていうと…。 ジャーン♪ それは、私のために、ガチャポンの空カプセルをゲットしているのでーす♪ ガチャのカプセルって、メッチャ楽しいのよー♪ かじりやすいし、不規則な動きで跳ねるし、なにより、 かじり方によってパカッとカプセルが開く瞬間がゾクゾクして、たまらなく楽しいのよねー! 「やったー!! 開いた―。バラバラに分解できた~! 分解できたから、ゆめちゃんの勝ち~♪」 って、狂喜乱舞して遊んでます♪ ふふふっ♪ 純子姉の目には、そんな風に遊んでいる私が、キラキラうきうき輝いて映って、 「かわいい~♪」 って思ってるに違いないわー。 だから、ついつい「恥ずかしい」っていいながら、 懲りずにガチャポンのカプセル回収箱を漁ってるのね。 ああ、私って罪作りな女~。 可愛いって、罪な性質ねー。 しかし、医者のくせに、ガチャポンのカプセルを漁る人って、なかなかいないわよね~。 …っていうか、人間、おばさんになるとズーズーしくなるっていうか、 恥も外聞もなくなるっていうか、逞しくなるっていうか…。 わが姉ながら、よくやるわー。 ケチケチせず、カプセルトイくらい買えばいいのに…。 でもまあ、お蔭で楽しませてもらってるんだから、文句は言えないわね…。 純子姉、今後もポケモンならぬカプセルゲット、よろしくね! 純 「もうちょっと優しく遊んで下され! 2日に1コのペースでカプセル壊して バラバラボロボロにするのは誰よ! 空カプセルゲットのために、カプセルトイを買ってたら、いらないトイばかり増えちゃうじゃない! だから、恥ずかしさを忍んで、回収箱を漁ってるんでしょうがっ!! 親の心、子知らずなんだからっ!」 テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体 |
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