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見方、考え方が変わると…
2021 / 02 / 16 ( Tue )
医療の発達で、昔は救えなかった命がいろいろな方法で
助けられるようになったのは素晴らしいことだ。

でもその陰で、今現在、全国の病院のスタッフたちは、
難しく、苦しい問題に直面しているに違いない。

「人工呼吸器に繋がれ続けている90代のこの患者さんは、
おそらく、この先、絶対に助からない。
それでも、今生きておられるから、人工呼吸器は外せない。
 もし、この人工呼吸器が使えていたら、
今日運ばれてきた40代の重症患者さんを
助けられたかもしれないのに…。
 人工呼吸器さえ空いていれば、助けられたはずの
前途ある若い命が助けられない…」

・・・というようなやり切れない現実を
日々、目の前にしているに違いない…。

誰だって目の前で、大切な人がコロナで重症化したら、
「何としても助けてください!」
と当たり前のように言い、可能な限りの治療を望むに違いない。

そうして、必死に助けられる命が増える一方で、
それに比例して、寝たきりのまま生き続けざるを得ない人々も、
確実に増えていく。

なんとか命はつなぎとめたものの、
日常生活ができる状態にまでには回復せず、
管だらけで寝たきりの状態で、生かされ続ける人々が
この先、どれだけたくさん増えていくことだろうか…。

それでも、意識がほとんどなさそうに見える患者さんでも、
何かしらの反応は必ずある。

そして、神様の目から見たら、
「いろいろな命の役割があるから生かされているのだなあ…。
 この人が今、呼吸をしていることで、
 こんなにもたくさんの人が影響を受けているんだ!!」
と思わされることも多々ある。

意味なく生かされている命はない。

それに今では、寝たきり生活になったとしても、
ALSの患者さんのように、パソコンを駆使して、
ベッドの中でもいろいろな活動ができる道も開けてきた。

…とはいえ、実際に、
管に繋がれ、意思疎通ができない患者さんが、
ズラズラズラっと何十人も、ベッドに寝かされて、
ベルトコンベアー作業のように、ケアされている状態を
毎日見続けるのは、なんとも悲しく苦しく辛いものだ。

そんなこんなの病院事情に思いを馳せて、
コロナが流行し始めた昨年春くらいから、
私は、健康保険証の裏に
「蘇生処置、人工呼吸器等の機械装着不要」
と明記している。

人生も後半戦に入って、
そろそろ終活も視野に入れて生きる年代になった私としては、
コロナであれ、事故であれ、
「治る縁があれば、治るがよく候。
 死ぬる時節には、死ぬがよく候」
が一番の幸せだと思っている。

私のような考えの人にとっては、
「コロナで自宅療養中に死亡」
という結果になったとしても、
それは不幸ではなく、むしろ幸いに感じる。

「人間、何かの形でいつか寿命が尽きるのならば、
 そういう形の旅立ちもアリ。
 上手く低酸素状態になって、あまり苦しまなくてすんだら、
老衰で、家でポックリ…と、そんなに変わらない旅立ちだわ」
と思うからだ。

「自分のためにも、周りの人のためにも
コロナに罹らないように、最大限、出来る限りの予防対策はとる。
 それでも罹ってしまった時には、
 治る縁があれば、自宅でおとなしくしていれば、自己免疫で治る。
 治らなかったら、「それが自分の寿命だったんだ」と思えばいい」
という生き方もアリかな…と思う。

人生も物事も、考え方や見方一つで、
ある人から見たら不幸そうに見えることも、
案外、本人にとっては「幸せ」なこともあるのかもしれない。
…としみじみ思う今日この頃。



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