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人であること
2009 / 04 / 16 ( Thu )
 「生きるとは。死とは。神とは」
 と小学生の頃からずっと考え続けていた。
そのせいか、いつの間にか、「神」とか「すべてと一つ」という感覚に近づくこと
が最高の生き方だと思い込むようになっていた気がする。
でも、近年、その考え方を改めた。

 たぶん、きっと、「すべてと一つ」である「神」より、人間の方が幸せ…のような
気がする。

 多くの人が「神」といって想像する「素晴らしき良きもの」は、実は「狭義の神」
で、「光」と表現した方がわかりやすい性質のものだ。

 「広義の神」、つまり「すべてと一つ」という性質の「神」は、戦争や殺人やいじ
めや公害といった「好ましくない「闇」の要素」を含んでいる。なぜなら、この世の
「すべて」だから。

 だから、「広義の神(すべてと一つ)」であろうとすると、現実に起こっているリア
ルな戦争や殺人やいじめや公害…などなどの嫌な「闇」を、「それもあり」と受け入
れる必要がでてくる。
 それって、正義感の強い人や、心や体が弱い体質の人や、ホラーが苦手な人には、
大変!だからお勧めしない。
 かといって、強硬に「拒絶」すると、逆にそうしたものに捉われてしまいがち。
 なので、「拒絶」でも「受け入れる」でもなく、「どんなものか知っているけど、
好きじゃないから選ばない」くらいが、楽なんじゃないかな?

 「人としてこの世に生きている」ということは、「全体(すべて)」ではなく「部
分」だということ。だから、オールマイティでいる必要はない。
 「生きる」というのは、「部分」の特権を生かして、世の中にあるたくさんの
「ピース」の中から好みのものだけを選び出して、「自分」という「小さな宇宙の箱
庭」を創ることかもしれない。満足のいく「小さな宇宙」が出来上がった時、それこ
そが自分だけの「天国」なのだろう。
 そして、「光」という「人生のピース」をメインに選ぶことが、いわゆる「神」を
選ぶことなのだと思う。
 
 ところで、「光」の性質は、光の多いところではわかりにくい。
太陽の下で、月やろうそくの灯の印象が薄いようなものだ。
でも、「闇」の中に月やろうそくの灯があれば、「光」がどんな性質で、どこまで、
どんな風に影響を与えていているのか、よくわかる。
 
 多分、私たちは「光」の性質をよりよく知りたいがために、好んで「深い闇」の中
に入りたがるのだろう。

 でも、これからの時代は、生まれた時からそういうことを知った上で、最初から
「楽しいことだけ」を迷わず選ぶ子供が増えてくるような気がする。
 実際、若い世代の人々は既に、
 「嫌々努力や苦労して生きるのは違うかも…」
 と感じ始め、方向転換を始めている。
たぶん、こうした若い世代が親になる頃には、「生まれた時から、楽しいことだけを
選べる社会の下地」ができてくる。そうなれば、「最初から楽しいことだけを選ぶ
子」も生まれやすくなるに違いない。
 
 ちなみに、一部のニューエイジ系の人たちは、これから「凄まじい時代の変換」が
起こるように言っているけれど、要は、「鎖国の江戸時代」から「文明開化の明治時
代」への変化とか、アナログからデジタルへの変化というように価値観や生き方や生
活様式が大きく転換する境目の時期が来ているっていうことだけの気がする。

 ところで、先日、
「中世になって、儒教や仏教などの影響で道徳観念が入ってきてから、生き方も恋愛
観も悲観的になってきた。古代の人々の方がおおらかに生を謳歌していた」
 という講演を聞いた。

 確かにそうかも…。
 混乱した時代ほど、光を求めて、「かくあるべき」という道徳や理想論が謳歌す
る。そのお蔭で、確かに「光」は増えるけど、一方で、道徳や理想でがんじがらめに
なって、生きにくくなる部分もあるにちがいない。

 たとえば、「欲や執着は一切無くすのがいいこと」といわれるけれど、突き詰めて
いえば欲のない人なんていない。
 「神に近づきたい」「悟りを開きたい」「無欲になりたい」「愛で心を満たした
い」「美しいものに感動したい」「自己を捨てて人助けをしたい」…などなど、一見
高尚そうな「目標」も、突き詰めていえば「欲」ともいえる。

 「目標」と表現すれば、「光」で「天国」の要素が強いけれど、「欲」といえば
「闇」で「地獄」の要素が強い。ようは、何事も物の捉え方一つ、自分の心模様一つ
…なのかもしれない。

 だから、「欲」「執着」も大いに結構!
気分良く生きたかったら、「目標」と言い換えてしまおう!
どうしてもあきらめられない「目標」には、必ず何か大きな意味がある。とことん突
き詰めて、とことん自分の心を追いかけて、「自分の宇宙の箱庭」を完成してみれ
ば、きっと何かが見つかり、その時には満足するかもしれない。
 
 閑話休題。

 桜の開花前に、木の剪定をすることになった。花が咲かないうちに、切られてしま
うのが可哀想だったもので、新芽のついた枝を数本、花瓶に生けておいた。
 すると、木に咲いていた時とは別の種類のようなかわいらしい花が咲き、散らずに
しおれるように枯れて終わった。
 
 桜が見事に咲くために相当のエネルギーがいるのはわかっていたけれど、実は、見
事に美しく華麗に散るにも相当なエネルギーがいるんだーと、知ってかなり感動し
た。

 また、しわしわで苔むした肌になった老木の桜の幹に、ブローチのようにピンクの
かわいらしい桜がちょぼちょぼついている姿も、おじいちゃんと孫のようですごく愛
らしかった。

 やはり、生命ってすごい!
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