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16歳の記憶
2010 / 06 / 12 ( Sat )
 先日、友達に誘われて、芝居を見に行った。
 ストーリーは「奇病に罹り、記憶が16歳に戻ってしまった人々と、
それを取り巻く人々」の物語。

 ある日、目覚めたら、母親ほどの年齢の人が、自分のことを「あなた」と呼び、
自分より年上の男が「父さん」と呼びかけてきた。
どうやって、見知らぬ家族を受け入れるのか?
 ある日、目覚めたら、誰一人知る人のない中にいた。
家族は全員死んで、一人で事業を起こして、今は社長をしているのだと聞かされた。
どうやって暮らして、どうやって仕事をしていこう?
 もし、失った記憶の中に、受け入れがたいとんでもない過去や秘密があって、
家族が記憶をねつ造していたら??
 …などなど、「もし自分なら、どう感じ、どう考え、どう生きていくのか?」
と考えさせられる話ばかりだった。

 もし、「16歳の私」が今の私になり、自分が歩いてきた軌跡を知ったら…。
 たぶん、人生のよいところには目が行かず、悪いところばかりに心を奪われて
受け入れられず、自分の人生を呪い、気が狂って自殺してしまうような気がする。
 
 16歳の私でなくても、数年前の自分が、
「この先、数年後に、こんなことが起こって、こんな風に過ごしている」
 と「出来事の起こる時期と簡単な内容」だけ知らされたとしたら、
絶対に受け止められなかっただろう。

 「人生のある地点に至るまでの過程で、どんなことがあって、どんな体験をして、
どんなことを感じ、どう学んだか」
 という細かいプロセスや理由や体験内容がわかって初めて受け入れられることって、
多々あるのだなあ、とあらためて思う。
 また、大地震のように、起こってしまったからクリアせざるを得なくて、
仕方なしなし乗り越えたからこそ受け止められた出来事…というのも、
人生に多々あったことに気がつく。
 
そう考えると、
 「未来はどうなっているのか、知りたいなあ」
 と思うことはあるけれど、知らない方がいい場合は多いのかもしれない。

 芝居の後、友人からこう尋ねられた。
 「で、純ちゃんは16歳に戻って、やり直しができるとしたら、
もう一回同じ人生を歩くの?」
 即座に「うん!」と答えた。

 10年前なら、違う答えをしたかもしれない。
 でも、ここまで歩いてみると、超私好みな人生だった。
いろいろな伝記や物語など見聞きしても、「今の人生」以上に私好みな人生には
お目にかかってない。だから、他の人生と交換したいとは思わない。
 たぶん、そういう人生を歩けたコツは、
「人生の岐路に立った時、「自分好みの方、自分好みの方」と選んできたこと」
 かもしれない。

 そしてまた、新しい岐路を前にしている。
 実は、数年前から漠然と、「次の可能性が見えてきたら、
「ひまわり」は終わりになるなあ」と思っていた。
 でも、この3月に「心が動いた時は、先が見えずに「見切り発進」しても、
後から道はちゃんとついてくる」という経験をして以来、
行動はさらに大胆不敵になってきた。

 なので、次の方向はまるで見えてないけれど、そろそろ終わりかなあと思い始めている。
 まあ、残務整理などがあるから、今年いっぱいは続けると思うけれど…。
 
 人生は一度きり。
 どこに流れていくか、まるで先の全く見えない人生も、案外悪くないかなあと思う。
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