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生という体験
2010 / 12 / 03 ( Fri )
 映画「玄牝」と「うまれる」を見てきた。
切り口は違うが、どちらも「出産」をテーマに扱いながら、
「死」も合わせて濃厚に描写していた。
「生きること」をとても客観的に見ることができた。

 よく、
「なんのために生きるのか。いかに生きるべきか」
 と、問うことがあるけれど、実は、
「その「問い」や「問題意識」そのものが、当人にとって大事なこと。
それがあるから、自分なりの人生ドラマが創られる」
と今回、腹の底から実感した。

突き詰めていうと、ある意味言い古された言葉だけど、
「どんな風に生きるかは、どうでもいい。
「ただ生きて、いろいろなことを体験して、死んでいく」だけで十分!」
なんだな…と、腹の底から実感した感じ。

ちなみに、これは人を励ます時によく使う、
「あなたは、生きているだけで価値があるのよっ(キラキラ、うるうる)」
ってな、お涙ちょうだいの話じゃない。むしろ、
「価値があるかないか…なんてことも、「生きる」上ではどうでもいいこと。
四の五の言ってないで、ただ、体験すりゃーいいんだってば!」
 に近い感覚?

 たぶん、人っていうのは、自分の人生を歩き切るのに(体験するのに)
一番ふさわしい器(肉体)を持って生まれてくるんだろう。
 空を飛ぶなら「飛行機」、陸を走るなら「車」、海を渡るなら「船」を選ぶ感じ。

 「車」の体を持って生まれた時には、
 「思いっきり、いろいろな所を走り回る」
 という人生を歩くのが普通なのだろうけど、
 「なぜ、私には翼がないんだろう。なぜ、飛行機じゃなかったんだろう」
 という「問い」をもって、「車」と「飛行機」の違いを研究して一生を終えてもいい。
 
「私には翼がない…」
 と、「車」であることそのものが「問題」だと思って、
一生落ち込んで引きこもって生きてもいい。

 あるいは、
「交通事故に合うのが怖くて、車を持ってるけど、走らせませんでした」
 とか、逆に、
「暴走し過ぎて、ボロボロになってすぐ壊れてしまいました」
 でもいい。

 ようは、「持っている「車」を使って、どんな体験をするか」が大事で、
体験を選ぶのはその人次第なのだ。

 ちなみに、どんな「問い」「問題意識」を持つかは、
過去の経験やもともとの性質に基づくことが多い。
だから、過去や性質に捉われず、今までと全く違った「問い」
「問題意識」を持つことができたら、人生展開も大きく変わってくる。

 でも、大概は、自分が持っている「問い」「問題意識」はなかなか変えられない。
変えられないのは、それがその人にとって大切で重要な人生のテーマだからだろう。

「なぜ、私はこの車を持っているのか」
という問いと、それにどう答えるか…の中に、その人の生きたい人生のヒントがある。

 つまり、「車」に「翼」がないことは「問題」ではなく、
「私の車には「翼」がない。飛べないのはゆゆしき「問題」だ」
 と、「ない」ことに注目して、自分の人生を見るから人生に「問題」が生じる。

「私には「翼」がない。ということは、陸を走るのに「有利」ということかも」
 という「問い」をもって人生を見ると、同じ「車」を持っている人生でも、
「有利」なことが目に入ってくる…というだけのことだ。

 もっと簡単に、「生きる」を考えるなら、
「ネットの仮想空間が「現世」で、そこで生きるアバターが「人間」。
アバターを動かしている人たちが「魂」で、私たちが住んでいる世界が「天国」」
 と見るといいかもしれない。

 なんのことはない、仮想空間で遊んでいる人たちは、パソコンを使って、
「この世に生まれて、生きるとはどういうことか」
を仮想体験しているだけなのかもね。
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