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無意味?な人生
2011 / 02 / 01 ( Tue )
「一見無意味に見えそうな人生も、案外いいかも…」
と最近、しみじみ思う。

 「一生引きこもって過ごす」とか、「一生絶望と悲しみの中に浸りまくる」とか、
はたまた「なにもドラマな経験などせず、毎日寝て起きて食べて
また寝るだけの生活」とか…。
 
 同じこと、同じ生活を繰り返し何十年も続けるのは、
実はものすごくエネルギーがいるし、ある意味、根性がある。
特に「退屈」とか「不幸」の中にずっといるのはパワーがいる。
 そういう人生も、すごいかも…と。

 話はちょっと転じるけど、実は私は、自分の前世の中に、
「大事な家族を亡くした後、死ぬに死ねず、その後ずーーーっと生涯、
絶望して嘆き悲しみ続けて、世の中を恨みまくったまま過ごした人生」
があるんじゃないかと、密かに思っている。

 なので、ちょっと前までは、
 「絶望と悲しみに捉われて一生を終えてしまうなんて、もったいない。
どうすれば、もっと違う生き方ができたのだろう」
 と考えていた。でも、近頃では、
 「家族を亡くしてそれだけ悲しめるってことは、同じ分だけ
「ものすごく幸せな家族と一緒の時間」があったということ。
実はそれってものすごく幸せな人生かも…」
 と思うようになってきた。

 ちなみに、今回の人生では、肉親の死を含め、
たくさんの死と濃密に関わってきたけれど、
 「一生立ち直れないかも…」
 と思うほどの絶望的な死にはまだ出会ってない。

逆に、
 「死に別れて、ある意味気楽になった」
 と、のたまう人々はたくさん見てきた。それって、ものすごーーーく悲しい。

 そう考えると、
「死ぬまで絶望し続けられるくらい、誰かを思い続けられる人生」って、
やっぱり、幸せだし、かっこよかったと思うのだ。
 まあ、本当に、そんな前世があったのかは神のみぞ知るだけど…。

なので、もし、そういう人生を今歩いている人がいたら、
「まあ、周りの人たちは、振り回されて大変で、いい迷惑かもしれないけど、
「人に振り回されず、自分の人生を貫いてる」とも言えるよ。
それに、他人のために、無理矢理立ち直って、「とことん悲しみ損ねた!」と、
人生が終わってから後悔するくらいなら、悲しみたいだけ悲しんだ方がいいよ。

「とことん誰かを徹底的に愛し抜いた人生」って、とーってもかっこいいじゃん!
 でも、「もう十分悲しみ抜いて、絶望するのも疲れて嫌になってきた」
と思うなら、自分自身のために「ここで悲しむのはおしまい!もう十分よくやったから」
って、どこかで踏ん切りをつけてもいいよねー。
 どんな人生でも、他人はどう思っても、自分が後悔しないように生きればいいよ。
 それに、人生を終えた直後は、「もっとこう生きればよかった」と後悔しても、
案外、次の人生を生きてみたら、「あの人生もよかった」って、思うかもしれないよ」
って、言ってあげたいなあと思う。

ただ…。
私はもう、「とことん絶望する生き方」は十分だなあ…。
どうせ過去に捉われるなら、
「あの時は幸せだったわー」
と幸せだった思い出だけにしがみついていたいもんだわ。

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

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