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新年の流れ
2007 / 01 / 05 ( Fri )
明けましておめでとうございます。
素敵なお正月を迎えられましたでしょうか。

私は例年ならば、家か病院で新年を迎えるのですが、今年は日枝神社で新年を迎えました。お能の師匠が日枝神社の「若水祭」で午前0時に「独り翁」の奉納能を舞われることになったからです。
神社での年越しは、いろいろなことを考えさせられる実りあるものになりました。

一番印象深く感じたのは、
「同じ場に居合せて、同じ現実を見ていても、体験することは人それぞれ」
ということでした。

例えば、早めに神社に着いてうろうろしていたところ、神社のスタッフの勘違いのお蔭で、入れるはずのない社務所の中に入ることができました。私は、
「普通の人が見られない社務所の内部が見学できた上、ここにしかないパンフレットをゲットしたら、そこに龍神さまの写真が載っていたなんて、ラッキー♪」
とホクホクしていたのですが、人によっては、
「あちこち連れ回された上、「ここは見学者が入るところじゃありません」と注意された! 私のせいじゃないのに! ひどいとばっちりだ!」
と思ったかもしれない状況でした。

さらに、神社周辺を散策していたところ、新年の準備のため、神社の倉庫が一瞬だけ開いている所にも遭遇。またしても私は、
「龍の太鼓と神輿がある! 龍神さまのご加護かも♪」
とルンルンしていました。でも、同じ倉庫の中を見ていても、他の人は太鼓の上の鳳凰に目が行く人あり、神社の紋章に目が行く人あり、大きな脚立に目が行く人あり…。もしかすると、人によっては、
「早く着きすぎて、待たされて時間がもったいない上、こんな準備でわさわさしているところに遭遇して、幸先が悪い」
と思ったかもしれません。

そして、拝殿に案内される時間は例年よりかなり遅かったらしく、毎年若水祭に出席している人々は、
「今年はどうしたんだ! いつ案内してくれるんだ!」
とイライラしているようでした。でも、「例年」を知らない私は、
「まあ、始まる前には絶対入れるんだから…」
とのんびり待つことができました。

極めつけは、拝殿に入る時、私は後ろから行き追いこんで割り込んできた人々にぶつかられて押し出され、最後の方に入場するハメに…。当然、端の席しか空いてなかったのですが、これが不幸中の幸い! なんと私の席、最初から最後まで師匠を最高にいい位置で見られる席だったのです!!(最初に入っていたら、全く見えなかった状況)

そして、奉じられた能は祭壇の神に向かって舞われ、「これぞ、奉納舞の原点。神に感謝を捧げるってこういうことか」と感じました。でも、人によっては、
「観客は、正面から舞を見られないなんて、つまらない。カメラマンだけは正面から見られていいなあ」
と思っていらしたようです。

また、拝殿の中は本当に不思議な空間でした。
後ろから、大勢の参拝客の賽銭を投げる音、鈴を鳴らす音、祈る声、一年の願をかける必死の願いのエネルギーがうわーっと押し寄せてくるのです。
「ああ、神様って、お正月にはこんなに凄まじいエネルギーでお願いをされまくっているのね―。大変なお仕事だわー。それに、人が願をかける時のエネルギーって、すごいパワーがあるのねー」
なんて感心する反面、
「体調の悪い人が拝殿の中にいたら、大勢の人の欲望エネルギーをもろに大量に浴びてヘロヘロになって、ぐったりしてしまうかも…。このエネルギーって、九州の天安河原にあったエネルギーと同じだわ」
とも思いました。
実際、「賽銭の音がうるさくて、祝詞や謡いが聞こえなくてがっかりした」と言っておられる人もいましたし…。

そして、若水祭終了後、あらためて正面にまわって、お参りすると、なんと社殿の丁度正面真上には幻想的な月がぽっかりと浮かんでいるではありませんか!
あまりにも不思議で幻想的な風景に息を呑むばかりでした…。
でも、参拝することに夢中になっている人々は、こんなに素敵な風景が目の前にあっても、気がつかないに違いありません。あの素晴らしい風景を目にした参拝客は、果たしてどのくらいいたのでしょうか…。

同じ現実を共有していても、見ている人の心が違ったり、見ている位置が違ったりすると、いかに全く違う体験に感じるか…。そればかりか、「見ていなければ、体験していないのと同じ」になってしまう…とも痛感。

私にとっては、昨年の九州旅行と同じくらい「神のご加護を感じた年越し」でした。
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