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自分を知る
2007 / 01 / 10 ( Wed )
 物心ついた頃から、誰に教わったわけでもないのに、新年を迎える時に欠かさず行っている習慣がある。
「過ぎ去り行く年を振りかえって一年の総まとめをし、感謝を捧げ、厄を祓う祈りを上げる。新年になった瞬間、迎えた年に挨拶、感謝し、新たな一年を寿ぐ祈りを上げる」
 というものだ。
 
 私の中には、
 「この『年越しのお祈り』の時間だけは、絶対誰にも邪魔されたくない! このお祈りをしなければ、年越しとはいえない!」
 という妙なこだわりがあって、年越しが当直に当たった時にも「どうか、お祈りの時間、急患が来ませんように」と、事前に必死で祈ったものだ。その甲斐あって(?!)か、今まで一度もお祈りの中以外で新年を迎えたことがない。

 そんな話を聞くと、「きっと信心深い家なんだろう」と思われるかもしれないが、我が家はいたって普通の家で、せいぜい仏壇と神棚に手を合わせるくらいの信仰しかない。
 だから、時々「なんで私はこんなにも新年の迎え方にこだわっているんだろう」と思うことがあった。

 そこで、今年は奉納能を見に行くということもあって、
 「よし。今回の年越しは自分自身の殻を壊そう。毎年続けているお祈りの習慣にこだわるのはやめる! 与えられた新年の迎え方を受け入れよう」
 と決意した。とはいえ、40年近く続く習慣をやめるのは勇気がいる。
 
 そして迎えた年越し。
 神社では新たな年を前にして、行く年に感謝し厄を払う祝詞が上がり、新年になると同時に寿ぎの雅楽、祝詞、舞が奉納された。
 自分の中でなんの違和感もなかったどころか、
「ああ、私がやってきた年越しの洗練された形が目の前にある。私が求めていた年越しはこういう形だったんだ。今までの人生の中で、一番私らしい年越しができたかも…」
 となにか自分の中でカチッとはまるものがあった。

 もし、魂の中に記憶のカケラが残るのだとしたら、私は間違いなく、その「記憶のカケラ」に突き動かされて、物心ついた時から年越しの祈りを上げていたに違いない。
 なんだか「昔の私」に出会ったようで、懐かしく嬉しい時間だった。

 (ちなみに、日枝神社の若水祭に関心のある方は、私のお稽古仲間の「言の葉庵」の庵主さんのブログに飛んでみてくださいね。解説がとても分かり易いです。
http://nobunsha.jp/blog/post_45.html

 また、今年の正月は、事情があって弟一家がこられず、私も出かけてしまったこともあり、我が家としてはとても変則的な形になった。
 それがまた、「家族」というものを見直す機会にもなったように思う。
 もしかすると、今年の正月が転機となり、家族それぞれがそれぞれの人生をしっかり歩きながら、今までとは違った形で「新しい家族の結び付き方」を創り出していくのかもしれない。
でも、「家族の形」が変わっていくことに、昔感じていたような不安や悲しみは感じない。過ぎ去り行くものへの一抹の寂しさは感じながらも、それ以上に、それぞれの新しい出発が力強い幸せを生み出すもののように感じるからだ。

また、年が変わってから、あちこちから、
「今年はパワフルな年になるよ。波に飲まれると渦に巻き込まれて大変なことになるけど、うまく波に乗れるとビックな幸せを掴めるよ。流れに逆らわないことが、チャンスを掴むコツだよ」
というメッセージが落ちてくる。
今年は変化を楽しみながら、力強く波に乗って前へ進んでいこうと思う。
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