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人生はディズニーランド?!
2007 / 02 / 11 ( Sun )

最近、自分の未来はよくわからなくても、他人の未来が感覚的に垣間見られる時がある。
「ああ、この人はこんなに面白くて素敵な「未来」に辿り着く予定なんだ。きっと、今はわざと寄り道をしているのね。真っ直ぐに目的地に着いちゃったらつまらないし、寄り道をしてたくさんのお土産をゲットすると、目的地で待っている人がすごく喜んでくれるのかもしれない。楽しそうだなあ…」
という感じ。

もしかすると、人は皆、自分の楽しい人生ドラマを終わらせたくなくて、わざといろいろな困難や課題を盛り込んでドラマを引き伸ばしているのかもしれない…とも思う。
なにも事件が起こらず、同じ映像だけが映っているドラマなんてつまらないし、ニュースだって大々的な事件が起こった時の方が視聴率が上がる。
みんな、「辛さ、悲しさ、苦しさは、人生に存在して欲しくない」といいながら、案外、人生にドラマを求めている。

その証拠に、高級老人住宅に入居して、素晴らしい部屋で生活して、たくさんのスタッフの手厚いケアを受け、レストランのような素晴らしい食事を食べて…と何不自由ない「擬似天国」のような暮しをしながら、不安に襲われる老人のなんと多いことか…。目の前にはとりあえず、なにも不安も不足もないにもかかわらず、彼らは、
「何もしなくていいんだろうか」
「人のケアを受けるだけなんて、価値のないゴミ人間になった気分だ」
「そのうち、何かすごい悪いことが起こるかもしれない」
「働かないで、豪勢な生活ができる人がいるなんて、世の中間違っている」
「どんないい所でも、改善すべき問題点があるはず! もっとよりよい生活をするために、問題点を探し出して、改善策を呈示しなくては。より向上することが大切だ!」
と「天国」の暮しを満喫せず、わざわざ心の中に「地獄」を作り出してしまう。

たぶん、「すべてが満たされた天国」というのは、案外、多くの人たちにとってはつまらなかったり、不安になったりする場所なのかもしれない。
欲しいものがなんでも手に入ったら「自分だけすごいものを持ってるぞ」と自慢できないし、「あれが欲しいなあ」とあこがれる気持ちも生まれない。すべての能力や知識を持っていたら向上する必要はない。すると、「こんなに進歩した!嬉しい!」という喜びもないし、誰かが「こんなにがんばって、すごいね」と感心したり、賞賛してくれることもない。
会いたい人とすぐ会えて、一緒にいたい人とずっといられて、心が全部通じ合ってしまったら、「出会いのときめき」も「心が通じ合わないもどかしさ」も「わかりあえる嬉しさ」も「会えない切なさ」も「別れの哀しみ」も「一緒にいられることの嬉しさ」もすべては存在しない。
「すべてが存在する」というのは、実は「すべてがない」のと感覚的には同じなのだ。

「苦しみや辛さや哀しみなんて、人生にあって欲しくない!」と思うかもしれないけれど、そういうものが盛りだくさんなほど、人生は充実して感じられる。
簡単に登れる山の登頂に成功するより、より険しく、難しく、困難な山の頂上に到達したほうが、ずっとずっと満足感がある。
家、車、時計といった「持ち物」や「健康」や「家族」や「友人」は、持っている時はそれが「当たり前」になってしまって、ありがたいとも思わない。でも、火災や震災や病気や死などで失ってみると、持っていたことのありがたさ、存在の大きさをしみじみ感じたりする。
「喪失」「不足」「不満」「不安」というものが存在して初めて、「獲得」「充足」「満足」「安心」という感覚が味わえる。
だから、人はわざと自分の人生の中に、不必要なくらい「困難」という出来事を盛り込んで、感動を求めるのかもしれない。

「神はすべてであり、分離がない。
分離がないと、自分が認識できない。
だから、自分自身をよりよく知りたいと思った神は、「人」という形で分離を生み出した」
のだという。

確かに、全員が白だったら、「自分は「白」だ」ということに気づかない。黒や赤といった違う色を見たときに初めて、「ああ、自分は「黒」や「赤」ではない。「白」なんだ」と気づく。
問題は、誰か強い人が「生きていくには「黒」が一番得だよ」と意見を投げかけた時に起こってくる。自信のない人たちは、「黒にならないといけないのかな」と不安になり、だんだんややこしいことになってくる。
「白」や「赤」の人が無理矢理「黒」になろうとするのは大変だ。せっかく、「白」に生まれたのなら、「黒」になろうとせず、「白」であることを楽しめばいい。でも、もしかすると、その人は「別の色に変わっていく過程」を楽しむために、あえて、最初から「黒」ではなく、「白」に生まれたのかもしれない。

「自分はどんな人生を歩きたいのか」を理解して、自分らしい道を選んでいると、人生は少し楽になるだろう。
「とことん純粋な「白」になりたい」のか、「どんな色にも染まれる「白」になりたい」のか、「白から黒に変わっていく過程を楽しみたい」のか、「たくさんの色を見たいだけ」なのか、「色が変わる可能性、変わらない可能性を分析したい」のか、「何も考えてない」のか…。

この世はディズニーランドのようなものだ。夢のようなお城もあれば、ホラーハウスも、スペースマウンテンもある。既成のガイドブックのおススメコースにとらわれて、大嫌いなジェットコースターの完全制覇なんて、狙わなくてもいい。アトラクションに乗らずに、散歩を楽しむだけ、ミッキーと遊ぶだけでもいいのだ。
ディズニーランドの遊び方は自由。人生の楽しみ方も自由。
人は皆、気づいているか否かに関わらず、それなりに自分好みの人生ドラマを生き、楽しんでいる。
周りの人たちの遊び方(生き方)に干渉しすぎず、なおかつ、
「へー、そんな楽しみ方もあるんだー。じゃあ、こっちのアトラクションも気に入るかもね。試してみたら? 思いっきり楽しんでね!」
と応援していればいいんだなあと、つくづく思う今日この頃。
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