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変えられないこと
2007 / 02 / 16 ( Fri )
 最近、ふと、
「起こる予定になっている出来事を「起こらせないように」とか、「もっといい形に起こらせよう」とか、「早く起こそう」などと、知らず知らずのうちに躍起になって、がんばってしまうことって、日常の中に多々あるなあ」
 と思う。

 例えば、地震や津波などの災害は起こる時には起こる。誰にも止めることはできない。人も、死ぬ時期がきたら必ず死ぬ。それも誰にも止められない。
 そうした大きな出来事だけでなく、怒りっぽい性格の人は、周りがどんなに努力しても怒る時には怒るし、不安症の人は、どんなに周りがサポートしても不安を止められない時がある。

 人はよく、「自分の対応が悪かったから、ああなったこうなった」と、反省モードに入ってしまいがちだ。でも、完全に自分自身のことなら変えることは可能だけれど、自分以外の人や出来事は努力しても、変わるか変わらないかは「その時の縁」でしかない。

 よく、「家族がガンで亡くなった。あの時、ああすれば助かったのじゃないか」と、相談に見えられる方がいる。でも、よくよく話を聞いてみると、家族はできる限りのことしているのだけれど、本人が頑固な性格だったり、老衰の一つの形だったりして、運命を変えられない状況にあったことがほとんどだ。
 
ガンが治るかどうかは、最終的には本人次第。本人が気づくか否かは別として、「治りたかったら、そっちの道へいっちゃ行けないよ」というサインはどんな人の人生にも出ている。でも、どんなにたくさんのサインが出ていても、周りの人がどんなに努力しても、本人自身が「治る道」を選ばなければ、治ることはない。
(ちなみに、治らない人の多くは、「自分自身の生き方は変えたくない。自分は変わらなくても、神様のような治療者に巡り会えれば、治るに違いない」と自分の人生を人任せにしがち)
 
 日々の小さな出来事の中で、「これは変えられること。こっちは変えられないこと」を見極めて、うまく人生の波に乗っていくのは、案外奥深い問題だ。
 どうせ努力をするなら、「嵐がこないように」と天に向って大きな団扇を振るよりも、「嵐が来ても安全に過ごせるように」と家の修理をした方がいい。それでも、ものすごく大きな嵐の時には、家が壊れてしまうことは避けられないかもしれない。
 そんな時、「ああ、なんて私たちは不幸なんだろう。家を失うなんて」と思うこともできるけれど、「家を建て直すチャンスを授かったのだ。国や自治体の援助を受けて建て直しができるなんて、普通に建て直すよりラッキーだ!」と思うこともできる。
 起こる出来事は避けられなくても、それに対する自分の反応(対応、気持ち)はいくらでも選べる。

 「起こるべきことが起こるべき時に起こるのを見守り、最善の対応をする」
 のが人生の極意だと思うのだけれど、なかなか言うは易し、行うは難し。
 案外、ルナ子のように、素直で先入観のない幼子のような性格だと、一番いい形で波を乗り切っていくのかもしれない。
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