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高度文明
2007 / 03 / 05 ( Mon )
 病院で、高カロリー流動食のゼリー2種類を試食した。一つは「安物のプリン」といった味。もう一種類は思いっきり人工香料臭くて、まずいのなんの…。開発した人には申し訳ないけど、食欲のない時に、こんなまずくて、人工的なものを出されたら、ますます食欲減退しそう。それに、栄養バランスは良くても体に超悪そう…。
 
 こんなまずいものを、
「栄養が取れないと、死んでしまうから」
という理由で、嫌がる人の口に無理矢理ねじ込む看病が病院や老人施設で、何の疑問もなく、当たり前のことのようにまかり通っている現実が、私には信じられない…。
 
 「人の嫌がることは、しないように」
 と子供のころ、みんな教わってきたはずなのに、「長生きさせる」という正当な理由(?)がつくと状況は変わってくるのねぇ…。
私だったら、こんなまずいものを食べてまで長生きしたくない。食事がおいしく食べられなくなったら、「ああ寿命がきたのね」と受け入れて潔く死んでいきたい。

母が亡くなる時に、あんなまずいものを無理やり食べさせなかっただけでも、親孝行だったなあと思う。母は食事があまりとれなくなってからは、ガーゼに含んだ水をチューチュー吸って、「お水がおいしい♪」と言っていた。
長生きできなくても、自分が過ごしたいように過ごして、最後まで「おいしい」という感覚を持ち続けながら死んでいけることは、今の時代にはなかなかできない幸せな死に方(生き方)なのかもしれない。

治療法が進化して、長生きが当たり前になってくると、「自然に寿命をまっとうすること」が何かとてもいけない選択のように思われてしまう。
それに、新時代の医者は、治療はできても、自然に看取ることができない。

家作りなども同じらしい。
規格にあった建築材料で、プラモデルのような組み立て建築が主流になったため、昔ながらの木材をふんだんに使う家を建てられる大工さんは減っているんだとか。
なので、昔ながらの家を建てようとすると、コストもかかる上、建築不備も出やすいらしい。
文明が発展して、どんどん便利になっていくことは一見素晴しいことだけれど、失っていくものもたくさんある。

確かに、今時の家は、隙間風も入ってこないし、防犯もしっかりしていて、快適かもしれないけれど、私はやはり、昔のボロ家が懐かしい。きっと、死んだ後も、魂の記憶の中に「私はこんな家に住んでいた」と強い印象で残るのは、間違いなく「子供の時に住んでいた古い木の家」だろう。

目覚ましい発展と変化を遂げる面白い時代に生まれてきたとは思うけれど、戻れるものなら、生活は少々不便でも、時間がゆっくり流れていた昭和30-40年代の世界に戻りたい。
でも、これだけ科学が進歩して、便利なものがたくさん生み出されてしまうと、逆に、そうした便利さを捨ててまで、昔に戻ることは難しいように思う。
もしかして、あまりにも文明が発達しすぎて、行き着くとこまで行きついてしまうと、その先は「リセット」しかないのかなあ・・・と思ったりもする。

昔、「プリンセスメーカー」というゲームにはまったことがある。
女の子にいろいろな経験をさせて育てていくと、その経験値によって、いろいろな性格、職種の女性に育つ…というゲームだ。
素敵な王女様に育っても、乞食に育っても、一通り行き着くとこまで行きついてしまうと、
「あの時、別の選択をしたら、もっと違う結果に辿り着いたかも・・・」
と、別の人生を歩かせたくなってしまう。そうなると、リセットするしかない。

実際に生きている人間も、マラソン選手が年老いてから、画家の人生に完全に転向するのはものすごく難しい。
文明も、ある一つの方向に向かっていくと、急に別の方向に向かうのは難しいのかもしれない。

だから、人も文明も「新しいチャレンジ」が必要になってくると、死が訪れたり、天災が起こって滅びたりするのかもしれない。
そう考えると、「死」も「天災」も神の意志で、必要があって流れの中でおこるものなのかなあと思えて、そんなに怖いものでもないように感じたりする。
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