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原点はなんだっけ?
2007 / 05 / 14 ( Mon )
 先日、学生時代の旧友が関わっている「憲法劇」を見に行った。
その時々のタイムリーな時事問題とか、政治問題をコミカルなミュージカルに仕立てて、世の中に問題提起をしていく…という趣旨で、毎年、5月の初め頃に横浜で上演されているものだ。

 何年かぶりに見て「例年通り、面白い切り口だなあ」と思う反面、
「立場、視点が違うと、同じ物事もこんな風に捉え方が変わるものか」
 とあらためて実感した。

 たとえば、「憲法劇」の中で、
「働きたくても仕事がなく、日雇いでいいように使われて、ネットカフェ暮らしを余儀なくされている人々。こんな劣悪な社会環境でいいのか? 」
 と問いかけるシーンがあった。

 私がネットカフェの存在を初めて知った時に思ったのは、
「家族関係がうまく行ってない子供や夫のDVから抜け出したい女性など、その気になったらネットカフェに抜け出すことができるんだ。いい時代になったなあ」
 ということだった。

 でも、ネットカフェで実際に日々暮らしている人たちにしてみれば、確かに、「劣悪な社会、労働条件だからこうなった」ということなんだろう。

 でも、さらに突っ込んでこうも考えてみた。
 「ネットカフェに払うお金があるなら、そのお金を仲間と寄せ集めてシェアして、狭い部屋を借りる方法もあるよね。でも、きっと、そうした密接な繋がりを持つよりも、ハンドルネームという仮面を一枚かぶった人間づきあいの方が楽なのかも…。
 本人は気づいてないかもしれないけれど、無意識に「こっちの生活より、こっちの方がまだまし」と選んだ結果がネット暮らしなのかもしれないなー」

 人って、その時に過ごしている環境に慣れてしまうと、「なぜ、そういう過ごし方を始めたのか」という原点を忘れてしまうような気がする。

 本当に今の暮らしが嫌だったら、必死で抜け出す方法を考えれば、必ず抜け道はあるものだ。でも、抜け道を考えるのが大変だったり、抜け道を実行する勇気を振り絞るのが大変だったり、案外新しい生活をするよりは今の暮らしの方が楽だと潜在意識で思っているから生活が変わらない…ということは少なくないような気がする。

 また、「憲法劇」の中では、子供たちが「学校へ行かないと、いい仕事に就けない。才能ないと、やりたいこともできない」と叫ぶシーンもあった。でも、本当にそう?

 助産師の仕事がしたいのに、学校に入れるだけの学力がないなら、海外の「資格云々」と言われない場所で、助産師の勉強を実地で学んで働くことだってできる。
 有名な音楽学校を出て、立派な師の下について、名をはせた音楽家になれなくても、路上パフォーマンスで買い物かごの一つも前に置いて、
「ニンジン、ピーマン、おにぎり、お布施はなんでもOK!」
と、その日の食べ物を稼げれば十分プロだ。

 でも、多くの人は「そこまでやる覚悟」を持つよりは、今の生活で妥協点を探す方が楽なのかもしれない。
 そして、そうさせているのは確かに、今の社会、今の世の中なのだろう。
 
 でも、「社会が悪い」と誰かのせいにしたまま、本当にやりたいことができずに一生が終わってしまって、死ぬ時に後悔しないのかなあ・・・とも思う。
 死んでから、「あそこで別の道を選ぶ勇気を持てばよかった」と後悔するくらいなら、死んだつもりで、全く別の人生を歩くことにチャレンジしてもいいかもしれない。
資格とか、優秀とか、学歴とか、地位とか、高収入とか、セレブな暮らしとか…社会が私たちに植え付けてきた価値観を一度白紙に戻して、「本当にやりたいことは何か」という自分の中の原点から始められたら、人生ずいぶん変わってくるかも・・・。
 
 ちなみに、「働いて食べて生きていく」ということは、本来「自分の得意なことで誰かをサポートする代わりに、誰かの得意なことで自分も助けてもらう」ということが原点だったはず。
 
 原点を見失ってしまうと、中心からずれてしまいやすい。でも、そういうことは世の中にいっぱいあるような気もする。

 たとえば、「すべての人が平等に教育を受けられて、幸せに過ごせるように」と義務教育は始まったはず。その「幸せになるための義務教育」が子供の人生と将来を鎖に縛り付けてしまうことがある。
 「母子ともに健やかに過ごせるように」と始まった出産への医療介入。いつの間にか出産は病気扱いされて、普通に出産できる人まで帝王切開されたり、必要もない処置が行われるようになって、女性の体と心が傷つけられることが増えたり…。
 風邪にかかるのは、体が休みを必要としているからなのに、「無理矢理早く直して、学校や仕事に行かせよう」と強力な薬を開発したお陰で、おかしな副作用で苦しんだり・・・。

 普通の生活の中でも、原点を見失いがちなことはたくさんある。

 「健康になろう」と思って、始めた散歩がいつの間にか、「一日に2万歩は歩かねばならない」という義務になり、かえって健康を損ねてしまうとか。
 「ストレス解消。気分転換に」と始めた趣味に没頭するあまり、「もっと立派にならなければ」と上達が目標になってしまうと辛くなってしまう。
 好きな人ができて「もっと理解したい。もっと愛したい。もっと一緒にいたい」と思って一緒に暮らし始めたのに、「ここも、あそこも気に入らない。でも、いまさら別れるのはもっと面倒」と惰性で一緒に暮らすのはとても寂しいこと・・・。

 生活をしていて、
「あれ? おかしいな?」
 と思ったら、
「原点はなんだっけ?」
と自分に問いかけ直すことは重要かもね。
 
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