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様々な生き方
2007 / 09 / 03 ( Mon )
友人経由で、久々に「女を武器にしてトップに上り詰めていく女性」のリアルな日常生活の話を聞いた。レディスコミックや官能小説も真っ青、迫力満点! 
いやあ…ほんとに世の中にはいろんな人生があるもんだ。

ちなみに、友人は、
「彼女の生き方と純ちゃんの生き方って、全く正反対だよね。俗を目指すかか、聖を目指すかって感じ?」
と言っていたけど、私は逆に、
「目指している方向が正反対なだけで、根本は全く同じだなあ」
と思った。

金銀財宝ザックザクの「宝の山」を登っているのか、はたまた厳しい修験道の「仙人の山」を登っているのか…。
どちらの山を登っても頂上に着いた一瞬は「おお! 下界を見下ろすってなんて気持ちいい!」と思うけれど、ふと周りを見回すと「げ! 他にもすごい山があったじゃん! 悔しい! 」と思って、延々「あの山、この山」とがむしゃらに登り続けることに終始しがち・・・という点では、全く同じ。

どうも「すごい山の登頂に成功した」という事実ばかりが偉いと思われがちな世の中だけど、肝心なことは「登頂した時の満足感、自由感、広がり感、自信感、開放感、安心感…」をしっかり味わって、
「私の中には、こんな素晴らしい感動、感覚が存在するんだ! しかも、この素晴らしい感覚、感動はいつでも思い出そうと思ったら思い出せるんだ」
と確認することだよなあと思う。

人間って、目に見えるものに惑わされやすいから、ついつい、
「あの山の頂に行かないと、あの感動は味わえない」
と誤解しがち。
確かに、素晴らしい感動を呼び起こすのに、山頂の景色や苦労して登ったという体験は引き金になっているけれど、「感動そのもの」は自分の中にあるもの。
例えていえば、どんなに素晴らしいデジタル放送が流れていても、地上波しか映らないテレビでは受信できないのと同じ。
「感動できた」ということは、感動する力は山にあるのではなく、自分自身の中にある。感じた「素晴らしさ」は、そっくりそのまま、自分の中に「エネルギー」としてすでに存在している。

そして、そんな「素晴らしい自分」を普段の普通の生活の中で感じられるなら、別に山に登る必要なんかない。
誰かから「こうやれば、こんなすごい山だって登れるのに!」と言われても、
「ううん。いいの。私は単に山登りそのものが好きなだけだから、ハイキング程度の山に時々行くのが向いているのよ」とか、「私は平地で暮らすのが向いているみたい」とか、「私は高原の生活が好きかな」とか、「私は山より海が好きみたい」…etcと、きっぱり自分の好みが言い切れて、自分に合った生活ができることの方がすごいと思う。

さらに、何の変哲もないごくごく普通の生活をしながら、
「私は今の暮らしが一番好きで、幸せで、自分に合っている。今あるものだけで十分満足だし、感謝しているわ」
と心底言える生き方が、簡単なようで一番難しいと思う。私はそういう生き方をしている人を尊敬するなあ。

 でもまあ、
「物やお金や人や地位や体験を得ることでは、決して幸せになれないし、満足も出来ない。実は、周りの環境に関係なく「満足感」「安心感」はいつでも得ようと思ったら、自分の心の中にあるんだ」
と気づくまでは、がむしゃらに山を登り続ける方が安心だし、充実できるのも事実。だったら、後悔のないよう、あの山この山と徹底的に登ってみる人生もありだ。

どんな生き方でもいいから、せっかくなら後悔ないよう、思い切り好きなように生きるのが一番だよね。
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