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見方変われば…
2008 / 01 / 17 ( Thu )
 子供の頃、大人たちが、
 「霊なんてこの世の中にいない。そんなものが見える人は狂ってるんだ」
 と言っているのを聞いて、
 「本当にそうなのかなあ。確かに、世の中の大多数の人は霊が見えないし、私も見えるわけじゃない。でも、だからって霊がいないってことにはならないと思うけど…。
 もしかしたら見えない私たちの方が、能力がないだけかもしれないよね?」
 とよく思ったものだ。

 ところで、この間「はじめてのおつかい」というTV番組で、ダウン症の女の子のおつかいを見た。
 どうやらこの少女は、普通の人のように「記憶」をしないらしい。母親から頼まれた買い物内容がわからなくなると、空想の「もしもし電話」で母親に電話をかける。すると、伝言を思い出すらしいのだ。
 また、誰に教わらなくても、今現在の自分自身は何ができて、何ができないのかをきちんとわかっていて、できないことはきっぱり断り、できることは誰がなんと言ってもやり遂げるという強い意志も持っているようだった。
 そして、一人でおつかいを終えて帰ってきたとき、涙で出迎えた母親の頭を優しくぎゅっと抱きしめながら、こういった。
 「お母さん、おつかいさせてくれて、本当にありがとう!!
 どうして泣いているの? 何も心配することはないんだよ。ね、大丈夫だよ。お母さん」
 
その姿はマリア様か天使のように神々しくて、
「ああ、お母さんがこの子を守っているんじゃなくて、この子の方が無条件の愛をこのお母さんに注ぎ、守っているんだ」
と理屈抜きで思わされた。

人は彼女を「ダウン症。障害児」と呼ぶ。でも私は、
「私たちの『普通の人』の方がよほど障害者だ。彼女みたいに、しっかり天と繋がってないし、自分自身を100%信頼できてないし、「今」だけを生きていないもの…」
と思う。

 少女はひたすら「今」だけを一生懸命見て生きていた。「過去」を見て悔やんだり落ち込んだり自分を責めたりすることもなければ、「未来」を見て絶望したり不安に駆られたりすることもない。
忘れてしまったことは、「もしもし電話」で聞けば全部思い出せると信じて疑わない。
自分が他人からどう見られているかを気にすることもなく、今の自分を自然体で100%受け入れ、信じている。
「おつかいさせてくれてありがとう」と感謝の心を何気ない日常のすべてに抱き、さりげない暖かな愛で家族を常に抱きしめ見守っている…。

 少女の「誰に何を言われても、自分と周りの人と今日という日を100%信じて生きられる(たぶん、本人は信じることが当然だから、信じるという感覚すらないかも…)」という特性は、「普通の人」が持っているはずの「ある種の感受性」が欠落しているからこその素質かもしれない。そして、彼女の天性の素質は一生変わらないだろう。
でも、そうした特性を「障害」と見るか「天使の資質」と見るかで、一緒に暮らしている子は「障害者」にも「守護天使」にもなる。そして、どちらの見方を選ぶかで、世の中は全く違って見えてくるに違いない…。

人としてこの世に生を受けるということは、神という「万能なすべて」から分かれて、「部分」になることだという。ならば、私たち人間はこの世に生を受けた時点で全員、神と比べて「欠けたところ」を持っているはず。つまり、みんな「障害者」なのだ。
 
 だから、所変われば誰もが障害者と呼ばれてもおかしくない。たとえば、タコ型火星人の惑星に放り込まれたら、彼らからは
 「あら、かわいそうに…。こんなに醜い形の手足が4本しかないなんて。すごい障害ね。しかも、高い鼻に、小さな口に、白い肌。なんてブサイクなのかしら!」
 と言われるかもしれない(?!)

「現実」は変えられない。でも、「現実」をどう意味づけるか、どう捉えるか、どう見るかは自分次第。そういう意味では、自分の見方一つで人生はいかようにも創造できるんだろうなと思う。

 話はちょっと転じて…。

 高千穂の神楽を紹介するTV番組を見た。
 観光客向けに高千穂神社で毎晩行われている神楽ではなく、昔ながらの地元に伝わる郷土の祭りとしての夜神楽だ。
 夜神楽が舞われる日は、神様役の舞人たちだけでなく、観光客含めてすべての人たちが皆同じ神様なんだとか。そこで、神楽が舞われる家とその近隣の家々の人たちは、見ず知らずの人も含めてすべての人を「神様」として、家に招き入れて一晩中酒を酌み交わし、食事を共にするのだそう。
 
 「訪れる人はみんな神様。人も神様も本当はたいして変わらないなんだよー。この辺の人たちはみんな神様と一緒に暮らしてるのさ」
 と日常の中のさりげない習慣と伝統の中で言えてしまう土地柄って、本当にすごいと思った。

 でも、「神楽は男性だけの神聖な行事。女は注連縄の中に入っちゃいけない」というのはちょっといただけない。女だって、おんなじ神様なのにね。
 
でも、もし私が「男性だけの郷土芸能」を守っている地域に生まれて、「女はダメ」って言われたら、「そういうものだから仕方ない」ではなく「女も参加できるように戦っていこう!」でもなく、「男も羨ましくなるような新しい郷土芸能を創っちゃえ」と考えるだろう。

案外その方が好きな舞、楽しい芸が自由にできて面白いに違いない。なにしろ「伝統芸能」というのは、案外「しっかり伝承するため」に決まり事が多くって、面倒なことが多いものだから…。
伝統芸能のいいところだけちゃっかり頂いて、いらないところ、つまらないところ、今時のテイストに合わないところはどんどん改良して、思いっきり面白い芸を創る。
最初は世間も、「あんな奇抜なことをやって…」と変人扱いされるかもしれないけれど、面白くて楽しければ人の輪は広がるし、100年続けば立派な伝統芸能になって、始めた人は「偉い創始者」ってことになるもんねー(世の評判なんて、そんなもんよー。キリストだって、あの時代は変人扱いだったんだから。成功するか、幸せになるか、正しいときっぱりいいきるかすれば、「確かにそうかも」ってみんな思うもんよ)。

そうなったら、きっと、
「伝統という枠の中に縛られずに、自由に楽しいことができてよかった! 女に生まれてよかったなー!」
と思うに違いない。

今世の中に残っている伝統芸能だって、最初に出来た時はきっとそんなものだったと思うのよね。格式高く感じられる能だって、最初に演じた人は、
「フムフム、猿楽、田楽…どれも面白いけれど、洗練した形式を作ったら、もっともっと面白いに違いない。よしよし、新しくできた芸を能と名付けよう」
とかなんとか思ったのかもしれないし…。

どんな芸でも、最初に創った人というのは、
「こんな風に演じたら、観客はもっとワクワク楽しんでくれるんじゃないかな。ふふっ。次はこんな工夫をしてみよーっと」
と心の赴くままに、楽しく面白く美しく自分らしくって考えていただけかも…と思う。

たとえば、私なども人からよく、
「すごいカウンセリングの技術ですよね。相手によって器用に全部対応を変えて…。どうしたらそんなことができるんですか。コツは何ですか?」
と聞かれるのだけど、考えてやってることじゃないから、説明するのはとっても難しい。
確かに、「相手によって対応を変えている」のだけれど、意識してやってるんじゃなく、勝手に変わってしまうだけ。時に自分自身でも、
「なんで、この人に対してはいつもこういう対応なんだろう??」
と思うくらい。逆にいえば、
「みんな平等に同じ対応をしなさい」
と言われたら、どんなに努力しても絶―――対にできない!
だから、均一な医療の質を目指す病院には絶対に勤められないし、勤めたら「才能なし」って言われて落ちこぼれのレッテルを貼られるのがオチって感じ?

それでも、なんとか自分の行動を説明しようと、ハタと自身を振り返ってみると、一応法則性とかパターンはあるような気はする…。そこで、無理矢理法則性を探って、
「相手が「A」だったら、「A`」と返します」
と答えたり、マニュアルに書いたりして、他の人には伝えていく…というわけ。
でも、実際には、相手が「A」のときに「B」と返すことだって、いっぱいある。

だから、もし私が死んだ後、何十年か後の人たちが私の本を読んで、
「え! 森津流のカウンセリングでは、相手が「A」といったら、「A`」と返さなきゃいけないんだよ。この本に書いてあるじゃん! それを「B」って返すなんて、君はおかしい! 君は森津流の伝統を壊す気か?!」
なんて指導をする奴がいたら、絶対化けて出てやるっ!
「うらめしや~~~!! 『最後にはマニュアルに捉われず、自分の心が感じることを何よりも大切にするように』ってここに書いてあるだろうがっ! よく読め! この、ばかもんっ!」

…というのは冗談だけど、マニュアルとか指南書なんてもんは、大勢の人が同じことを効率よく真似するために創られるもの。創始者にはいらないもんよね。
だから、マニュアルをベースにしながら、いかにそれ以外の付加価値をつけていくかが、本当は大事なんだと思う。
ところが、何年も経つと「マニュアルを守ること=伝統を守ること」と勘違いする人が多いのは悲しいことよねー。

それでも、ゼロから何かを創るよりは、マニュアルや枠というベースがあった方が楽な人の方が多いのは事実。要は、生き方の好みでもあるかもね。
とりあえず、枠の中で無難に生きてみてもいいし、枠が苦しいなら、誰になんと言われようと、思い切って外に飛び出して自由に自分らしいことをしてもいいんだよね。

 どんな生き方でもいいから、明日の自分、一年後の自分が、
「他にも方法はあったけど、他の方法はやはり選べなかった。私には私が選んだ道が一番合っていた」
と思える生き方をしていればいいよねー。
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