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感謝の心、謙虚な心
2006 / 08 / 24 ( Thu )
 最近、ふと、
「医者になったばかりの頃の謙虚な気持ちをいつの間にか忘れていたなあ」
と思う。

 まだ研修医だった頃、初めて病院に入って愕然とした。
「世の中には、食事を食べることが許されない人、ベッドの上でまったく身動きができないまま一生を終わらなければならない人、薬や透析やペースメーカーといった医療の補助がなければ生きられない人など、『普通の生活』すらままならない人がなんてたくさんいるのだろう。
 今日、食事ができて、自分で排泄できて、自分の力で歩けるって、なんて幸せなことだったのだろうか」
 としみじみ痛感すると同時に、それまで気がついていなかった「今ある幸せ」に感謝したものだ。

 また、先輩の医師から、おいしい食事を奢ってもらった時にも、
「こんなにおいしい食事を作っている店があるんだ! それを知ることができただけでも、医者になってよかった」
 と感動した。

 ところが今じゃ、そんな感動と感謝はどこへやら・・・。知識や知恵がついた分、気がつくと、「もっといい生活、もっと素晴らしいものがある。これじゃダメ」と、自分自身と世の中のアラ探しばかりしている自分がいた。

 でも、人というのは案外、そんな風に「喉元過ぎれば・・・」という性質を持っているのかもしれない。
 
 戦争を体験して、命の尊さや食べ物のありがたさや争いのむごさを知っている人たちですら、平和で豊かな世の中に生きるようになると、「こんなまずい食事を出して!」とか、「隣りの人が気に食わない」と、些細なことで文句を言ったり、ケンカをしたりする。
平和で豊かな毎日を過ごしていると、
「戦時中を思えば、食事が食べられて、布団があって、敵が襲ってこないだけでも幸せ」
とは考えなくなるらしい。

あるいはもしかすると、それはものすごく辛い経験をしたために「二度と同じような辛く不幸な経験をしたくない」と、必死で「辛さ」「不幸」を避けようとしてきた結果なのかもしれない。

 「戦争当時のような惨めな生活はしたくない」と欠乏を恐れて、「もっと豊かで、不自由く、安全な生活に」と思うとついつい、がむしゃらに体を壊すまで働いたり、過敏なくらい安全を求めたり、周りの人を不幸にしてまでものし上がろうとしたりする行動に出ることがある。
 また、「自分たちのような不自由で不幸な思いを子供たちにさせたくない」と愛情に転じたはずが、子供たちは、
「物質的環境的に恵まれていることが幸せ。不自由なく、豊かに、愛情をたっぷり注いで過ごさせてくれるのが、親として当然の努め」
 と思うようになってしまい、親に感謝の心をもてなくなったり・・・。
 「辛さ」や「不幸」を避けたはずが、かえってそうしたものを生み出すことになってしまっているのだ。

 もしかして、「辛さ」や「不幸」を避けることに必死になるのではなく、
「起こる出来事は、すべて意味がある。どんな出来事も、自分にとってよりよい未来を創るために起こったもの。一見不幸に見える出来事も、幸せに繋げることができる」
 と言いきれる自分を育てることに必死になったらどうだろうか?

 たとえば、戦争を体験してきた人たちの多くが、
 「戦争という大変な経験をしたのは、普通の生活がどんなにありがたいかを学ぶためだったのかもしれない。辛かったけど、貴重ないい体験がでもあった。こうした経験を積んできた我々が、何気ない日々の幸せを大切に生きる姿を次の世代に見せていこう」
 と生きてきたら、あるいは、世の中は変わったのだろうか?

 でも、過去に「もし」は通用しない。過去はもう変えることができないものだ。けれど、過去から学ぶことで、未来を変えていくことはできる。
 だとしたら、私たちはどんな風に生きていけばよいのだろうか。

 中学生だった頃、国語の先生がこんな話をしてくれたことがあった。
「私の祖母は、本当に食べ物を大切にする人だった。米を残すといつもこんな風に言っていた。
 『たった一粒の米ができるのにも1年という月日がかかるんだよ。この一粒は、一年間のお百姓さんの努力の結晶なんだ。この一粒が、もし土に蒔かれれば、何十粒もの米が生まれるはずだったんだ。その命をいただいているからこそ、大切にしなければいけないんだよ』ってね」
 
 この話を聞いて私は子供心に、
 「大声で『物を大切にしなさい!』と怒鳴り散らして、子供の心を大切にしない大人たちより、なんて説得力のある生き方だろうか」
 と思ったものだ。

 問題のある生き方をしている人を責めるのは簡単だ。
 でも、責めている自分自身も、もしかしたら同じような間違いを犯しているかもしれない。なぜなら、心というものは磨くことを怠ると、すぐに雑草が生えてきやすいものだから…。
 だから、何か問題を発見したら、それを自分の鏡だと思って、
「ああ、私の中にも、そんな自分がいるかもしれない。人を正す前に、自分の心をしっかり見直そう」
 と思える自分でありたい。
 
そして、最初に感動や感謝を味わったときの気持ちを大切に暖めていきたい。
 でも、最初に感動を味わったときの強烈な感情は二度と味わうことはできないだろう。それでも、大切な感情は忘れずに、日々心を磨いていきたいと思う今日この頃。
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