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不安は見ないふり
2008 / 04 / 03 ( Thu )
 近年の世相をよく表しているCMを発見。
 「事故ると嫌だから車は買わない。人間関係で苦労したくないから、結婚もしない。危険な目に会いたくないから、家から出ない」
 と赤ちゃんがいうと、別の赤ちゃんが、
「それじゃあ、君、何のために生まれてきたの?」
 と突っ込みを入れる…。

 人は、起こるかどうかわからない「ほんの何%かの不幸」を心配するあまり、随分無駄なエネルギーを使い、不幸な生活を送っているのかもしれない。

 「母子ともに100%危険のないお産をしたい」と、リスクが少しでもあったら帝王切開する。その結果、妊婦の4人に一人が帝王切開となり、誰もが「お産には医療介入が必須」と思い込む。
「よほどの問題がない限り、人は自然に生まれるもの。昔は、産婆はいても産科医はいなかった」ということを、人はいつの間にか忘れてしまったようだ。

 死も同じ。
 「体が死の準備を始めたら、それを受け入れる」という覚悟さえできれば、ほとんど何の苦痛もなく、枯れ葉がポロリと落ちるように自然に死ぬことができる。なのに、「無理矢理生かそう」と医療介入し過ぎた結果、無用な痛みがどんどん出てきて、「緩和ケア」なんていう「さらなる医療介入」が必要になってくる。
 「生きとし生けるものは、自然に死ねる力を持っている。人は必ずいつか死ぬ」
 ということを、人は忘れてしまったのかもしれない。

 「風邪、インフルエンザに絶対罹らせない! 罹っても、すぐさま治すために薬が欲しい!」と、小さな病気をも完全拒否、速攻完璧治癒を求めると、医者が不足する。
 病気は体からの「休んで!」「今の生活の仕方は私に合わないよ」というサインと受け取って、ちゃんと腹をくくって休み、生活を見直せば、ほとんどの病気は治る。なのに、現代人は「病気は医者や薬が治してくれるもの。自分には治す力がない」と思い込んでしまっているみたい。

「今って戦時中ですか?」
 と問いかけたくなるくらい、スーパーでは山のように子供用防災頭巾や非常食などを売っている。災害が起こっても、
「戦争中の食糧難を思えば、少しくらい我慢しよう。毎日食事が食べられるって、幸せなことだったと実感できてよかった」
 と腹をくくり、災害に合ってない人たちが、
「大変な時はお互い様です」
 とちょっと助け合う心さえ持っていたら、必要以上の非常食や物品確保に必死にならなくてもいい。ただでさえ、毎日期限切れの食品が大量に捨てられるのに、あれだけの非常食や物品が、使われなかった時には全部無駄になるなんて、スーパーのレジ袋以上にエコじゃない!
 でも、もっとエコじゃないのは、地デジ時代に入って破棄されるであろう何百万(億?)台ものテレビ! レジ袋何枚分のエネルギー消費?!

 本も服も品物も「より新しいもの、進歩したもの、ニーズに沿ったものでなければ、市場で生き残っていけない」と、1-2カ月単位でどんどん商品が入れ替えられるとか。
しかも、買う人は「できるだけ安く」と買い叩く。結果、生産者は労力の割に報われる賃金がもらえず、売れなかったものはすべてゴミと化す。本屋に並ぶ商品などは半分以上が1カ月後には、返品、ゴミになるとか。トイレットペーパー何コ分の無駄?
 不安に負けず、欲を出さず、「本当に必要な物だけを求め、代価を十分に支払う覚悟」と、「必要なものだけを作る覚悟」があれば、楽しく必要な時間だけ働いて、「十分な報酬と休み」が得られるのにね。

 身近なところでは、父もいい反面教師。
 「老後を悠々自適に送るために、アパート経営をする」という夢が叶ったのはいいけれど、やれ「住人のゴミ出しの管理があるから、自由に行きたいところに行けない。毎朝早起きしなきゃいけない」だの、「住人同士でトラブルが発生すると対応が大変」だの、「アパートはあちこち故障が出て、修理費もかかるし、手間もかかる」…etcと、「こんなはずじゃなかった」文句がタラタラ…。
 だったら、管理会社に管理を任せればいいのに・・・と提案すると、「収入が目減りするのはイヤ!」なんだとか。
そのくせ、アパート収入が多くなってくると、「税金でがっぽり持っていかれたらどうしよう」と不安になり、空室が出れば今度は「収入が減ってしまう」と心配しまくる。
結局、夢が叶っても、お金が入っても、入らなくても、いつも不安を抱えているのだ。

 そして、そんなにハラハラドキドキして得た収入を何に使うのかといえば、無趣味な彼は、ほとんどお金を使わない。
それでもたまに、カメラやオーディオ機器などが欲しくなるらしい。そんな時、私は、
 「自分で稼いだお金なんだから、堂々と好きなように使えばいいと思うよ。豊かな生活をするために稼いでいるのだから、使って、生かさなかったら意味がないよ」
 というのだけれど、亡き母の「無駄遣いをするな!」という教育が行き届いているせいか、買い物をすると、ものすごい罪悪感にさいなまれるらしい。
 欲しいものを買っても買わなくても、やっぱり「辛い」のだ。

 結局、お金は入ってきても使えず、預金通帳の数字だけが増える。すると今度は、「死んだ後の相続税がどうなるかと、心配で眠れなくなって辛い。睡眠薬の量がどんどん増える」のだとか。ほとんど、笑い話か、落語のよう(笑)
 
 「そんな心配したって、将来、地震で家やアパートが全壊するかもしれないし、不動産を担保に老人ホームに入るかもしれないし、あるいは地震で家族全員死ぬことだってあるのに…。
 悩むくらいなら、いっそアパート経営なんてやめれば?
年金暮らしだって、今の生活水準を保つには十分じゃん!」
 と私は思うのだが、彼に言わせれば、
 「収入がなかったら、もし万が一、大病にかかったり、寝ついた時にかかる医療費を考えると不安」
 なのだとか。

 ま、「思いは実現する」とやらで、将来は思いっきり病気になって、寝ついて、いっぱい医療費を使って、
 「ほら、やっぱり、老後の蓄えは必要だっただろ?」
 と豪語する未来を創造、体験して下さいって感じ?
 ようは、「悩むのが趣味」なんだなあとも思う。

 父を見ているとつくづく思う。
 きれいな調度品が揃った、素晴らしい大きな庭園のある大邸宅を得ても、それを維持するための従業員を雇って、掃除して、修理して…ともろもろの手間とお金を考えたら、
「世の中のホテルや旅館はすべて私のもの。一泊につき1万円という格安の年間管理費を払うだけで、自由気ままに使え、食事まで手配してくれる」
と考えた方が気楽。
 近所の公園もまた、「我が家の庭」と考えればいい。季節の花をいつも植えかえて、最高の状態で咲かせてくれる。自分で管理したら、ここまでいろいろな種類の花を植えて、上手に手入れすることはできない。ありがたい、ありがたい!
治らない大病を患ったら、「治療は無理です」と医者にいわれるぐらい放っておいて、すぐ死ぬことにしよう。そうすれば、医療費は最小限でOK、医者も暇になる。
 最低限必要な家と身の回りの品があって、些細な日常生活で十分満足できるならば、お金はほとんどいらない。ならば、日々の生活に必要な分だけ稼げばいい。
 財産を残さなければ、相続の心配もいらないし、無用の相続争いも避けられて家族円満。子供たちは、自分が使いたい分だけは必死に稼ぐから引きこもりにもならないし、「なんで働かなきゃいけないの?」という疑問も出てこない。めでたしめでたし!

 ところで、亡くなった母は、
「理想論より現実よ。どんなに性格的に気が合っても、老舗のような家系を背負っていて、嫁姑で苦労させられる可能性のある人なんて、絶対いや。少々気が合わなくたって、次男で親の面度を見ないで済んで、なおかつ家を持っている人と結婚したら、安定した生活が望めると思ったのよ」
 とあまたの候補者の中から、「将来への不安対策」で父を選んだらしい。

 ところが、「万全の対策」もむなしく、転勤で持ち家には住めず、家には父の両親が住むことになり、後日、嫁姑問題と両親の世話がもれなく付いてきた(どんな綿密な対策をたてたって、予想外のことは起こるもの!?)。
それでも、熟年になったらアパート経営で優雅でリッチな生活になるはずが、管理に頭を悩ませて、大好きな旅行や芝居にも自由に行けず…。結局、
 「自分に稼ぐ力があったら、子供がいなかったら、さっさと離婚したのに…」
 が口癖に。そしてついには、「趣味も性格も合わない夫と、定年後に毎日顔を突き合わせて生きるのは嫌だ」と、本当に見事、父の定年の年に死んでしまって…。
 結局、母は「自分の素直な気持ち」より、「生活の安定」「世間体」「義務感」「正義感」「周りの人の幸せ」を選んだのだと思う。

それでも「やりたいことは全部やったから、後悔はない」と、母は言っていた。ならば「こういう人生も経験のうち」だったのだろう。

 でも、旅行、観劇、散歩…にと、楽しそうに過ごしている老夫婦を見る度に、私は、
 「母は次に生まれ変わっても、「気が合う相手」より、「将来の安定性」を選ぶのかなあ。本当に後悔はなかったのかな」
 と思う。

もし、私が母のような状況に置かれて、しかも熟年になってから気の合う人が見つかったら(母にはいなかったけど)、夫や子供に反対され、世間様からも非難され、貧乏生活を強いられることになっても、離婚して人生をやり直したい。
死ぬまで夫婦すれ違いの味気ない毎日を延々送るなんて、耐えられない。
かといって、自分の不幸せを「お金」や「子供」のせいにもしたくない。
 そして、それより何より一番嫌なのは、「人生に悔いを残したがために、もう一回生まれ変わって、前世の復習編から人生をやり直しする」こと! そんな大変なこと、絶対ヤダ!
だったら、一時的にはすったもんだの修羅場をくぐっても、その後に、CMの伊右衛門夫妻のような「言葉少なに日々の感動を分かち合える充実した毎日」を過ごしたい!

 でもまあ、こう思えるようになったのも、いろいろな経験を重ねて、
「地位やお金や名誉や世間体を心配していたら、幸せになれない。幸せになるには、自分の心をよく知り、心に素直であること。周りの人たちも、それぞれの心がしっかりしていれば、誰かの行動の結果で自分の幸せが揺らぐことはない」
 と思えるようになったからだろう。
 そして、心の底からそう思えるようになるまでは、とことん自分なりに模索してみたいのが「人生」ってものなのかもしれない。

 でも、結論からいえば、お金があっても、健康であっても、物をたくさん持っていても、「心の中の小さな不安や心配」を見続けていたら、安心できないし、幸せにもなれない。
 ついでに、心の中の不安や心配を100%完璧になくすことは、絶対に無理。
だったら、
 「心配事に対して、これだけの対応策は準備した。想定外のことは、「宿命」とおもって、「ま、しかたないっか」とあきらめる」
 と腹をくくって生きるのも一つだ。
 でも、何事も「腹をくくる」っていうのが難しいよね!

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

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