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機が熟す時
2008 / 04 / 28 ( Mon )
 我が家の庭では、牡丹、フリージア、つつじ、ティアードロップ、君子蘭…etcと、いろいろな花が満開になっている。
 満開の花々を眺めながら、しみじみ、
「何事も、「機が熟す時」っていうのがあるんだなあ」
とあらためて思う。

 硬い殻を被った種を無理やりこじ開けて、中身を取り出そうとするのは大変だけど、時期を見計らって土の中に埋め、十分な水と肥料を与えさえすれば、機が熟せば自然に芽が出る。
 人生も同じなのかもしれないなあと思う。

 「誰かのため」と思ってやっているようにみえることも、突き詰めてみるとすべて自分自身のためであることに気づく。人生の肥料のようなもの。
きっと、「自分」という存在は、あまりにも身近すぎてわかりにくいものだから、人との関わりを通して、自分探しをするのだろう。
そして、人生の試行錯誤の結果、いい意味で「自己満足」「自己完結」ができるようになったときが、一番力強い状態なのだと思う(それって、人によっては、ちょっと寂しいことにように感じるかもしれないけど)。

 揺るぎなく「自己満足」すると、
「今って、十分イケてるなあ。何も不足はないなあ」
 と満たされるから、自己コントロールなんかしなくても欲は湧いてこない。未来も、
「ま、なるようになるし、そうなったことが一番いいんじゃない? 何も変わらなくても十分幸せだし」
とふんわり思える。だから、心配も湧かない。限りなくラクチンな状態だ。

 逆にいえば、そのくらい自然に「自己満足」できる時期が来るまでは、心の衝動に突き動かされるまま、思いっきり走ってみるといいように思う。
思い切り走るためには、「不安」「心配」「傷」「大変」なども、「必要不可欠で大切な原動力」だ。そうしたものがあるからこそ、人は偉大なことを成し遂げられるのだろう。
 
 「ひまわり」でたくさんの人たちに出会ったおかげで、どんなにぐちゃぐちゃで医学的には救いようのない状態にいる人でも、本人さえその気になれば限りなく素晴らしい幸福な人生に転じることができるのだと知った。
 「すべての人の中に神仏がいる」
 というのは、実感として本当だなあと思う。

その人が目指している最高に輝く姿は、生まれたときからいつでも、その人自身の中にあって見え隠れしている。本人も周りの人も気が付いていないだけ。
 でも、どんなに隠れていても、その片鱗は時々顔をのぞかす。その姿を必ず垣間見られるのが、今の仕事の最高の醍醐味かもしれないと思う。

今、自分の歩いてきた道を振り返って、
「大変だったけど、本当にいい人生を歩いてきたなあ。ここまできたら、自分の人生のどの部分も変えたいとは思わない。大変な事のすべてが、未来の自分の役に立った。この人生を選んでよかったなあ」
としみじみ思う。
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