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人生に○をつける勇気
2008 / 06 / 08 ( Sun )
「あなたの人生、本当にそれでいいの?」
と問われるのは、結構きつい時もあるけれど、節目節目で人生を振り返るには、いいチャンスだと思う。

「それでいいの?」と問われた時、たいがいは、
「みんなはこうしている。あの人が正しいといった。社会的にはこれが正しい。宗教的、人間的にはこう生きるべき」
などといった「周りの評価」や「社会のルール」や「先人たちの知恵」を拠り所にして、○か×か判断することが多い。

 確かに、自分の人生の物差しを持たない時は、そうした周りの判断基準はとても参考になる。
 でも、「周りのもの」は時代の移り変わりとともに、多様な形で変化していくもの。そのことに気づかず、無意識に「自分の人生の拠り所」の基準を「外」に求めてしまうと、
 「私の人生、なんでこんなに不安定で、周りに振り回されているんだろう」
 と言いながら、一生が終わってしまうこともありうる。

 もし、「流れ(周り)に振り回される人生は嫌だ」と思うならば、
「自分の人生は、自分が決める! 誰がなんと言おうと、自分の心が動くものを大切に生きる!何があっても、自分が歩いた道に○をつける」
 と腹をくくる覚悟が必要だ。

 そして、誰が評価してくれなくても、たとえ思うような結果に辿り着けなくても、
「それでも、私は歩いてきた道のりそのものが楽しかったから、私の人生は○。
お花畑だけでなく、山あり、谷あり、絶壁断崖ありだったけど、すべてひっくるめて、自分の人生全部が愛しいし、ステキだと思う。「私」、よくがんばったね」
 と言い切れるくらい、自分の足で立ち、自分の心を拠り所にできる勇気が必要だ。
 それって、人によっては相当苦しいことかもしれない。

 それだけの覚悟や勇気が持てない時には、
「人生うまくいかなかったら、「周りが悪い。社会が悪い。先人の教えが間違っていた」と、「外」のせいにした方が、今は楽かも…。だから、「外」を拠り所に選ぼう」
と考えるとか、
「周りの変化に合わせて、どこまで流されて行けるのか、どこに辿り着くのか、それが私の人生にとっての最高の楽しみであり生き方」
 と考えて、意識して拠り所を「外」に持つ人生を選ぶのも一興。
そうすれば、無意識に流されるまま「外」を拠り所にするより、少しは楽かもしれない。

 でも、正直言うと私は、上記のような理屈をあれこれ考えずに生きている人がうらやましい。特に、
 「自分の心の動くまま、素直に行動し、自分の行動に何の疑問も持たない人」
 が心底うらやましい。

 自然の心から出た素直で真直ぐな行動を目の当たりにすると、
「自分らしく心のままに生きるって、本当はものすごく自然で、ふんわりしていて、心強くて、周りの人をも幸せにするものなんだなあ」
 とつくづく教えられる気がする。
 そういう人たちは「生きた天使」だと、私は密かに思って尊敬している。

 でも悲しいかな、私は動く前に「あーでもない、こーでもない」とさんざん考え込む性格だ。逆立ちしても、完全に自然体で動けるようにはなれない。
なので、仕方ないから、せめてさんざん考えて、自分で決められるところは、自分でしっかり決めることにしている。
そして、自信のないところや迷うところは天の流れに任せる。それで、失敗したら、
 「天のバカー! 神様のいぢわるー!」
 と、さんざん文句を言いまくって、泣きわめいた後で、
「でも、きっと、神様には人間の及ばないようなすごい考えがあるのよ。
きっと、今は「大変」に見えることも、しばらく経った後では、
 「おおっ! さすが、神様! 確かに、こっちの道の方が幸せだったじゃん!」
 と思えるような配慮をして下さっているに違いない」
と、その時は信じられなくても、ひたすら自分に言い聞かせまくることにしている。
実際、そうすることでいつだって、私の人生は予想よりはるかに幸せな道を歩くことができた。
 
ただ、本当のところ、神様仏様がいるのかどうかなんて、たぶん私には死ぬまでわからないと思うし、神仏がどういうものなのかも死ぬまでわからない気がする。

 それでも、わけがわからないなりに、やみくもに「神仏の計らいは絶対に確か」と信じる覚悟を持つこと(どうやって信じるか…じゃなく、ただ、ひたすら信じ切る覚悟だけよ、覚悟!)で、人生はものすごくうまくいった。だから、
「ま、とりあえず、私の人生、このやり方でいいんじゃないかなー」
と思っている。

 でも、所詮、この世というのは「神が創った壮大な芝居」で、この世に生きている私たちは、それぞれ「特別な役」を演じるために生まれてきただけかもしれない。

 ならば、思いっきり好き勝手に話して行動しても、それは神の目から見たら、想定された範囲内のセリフやストーリー展開であり、「良い悪い」とは無縁のものかもしれない。
 ならば、思いっきり自分勝手(…と自分では思っていても、神の目から見たら所詮、想定範囲内の)に、自分らしく「私」という役を演じ切ってみるのも一つかも…。

 まあ、ともかくも、どんな形であれ、それぞれ自分が一番悔いのない方法で人生を歩けるといいよね。

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

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