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世界と愚者
2008 / 06 / 16 ( Mon )
 占いのタロットカードで、一番大きな数字は「21」、「世界」という名がついている。文字通り、世界中のすべてを包括し、理解し、悟った最強のカードとされている。
 でも、一流の占い師に言わせると、
「最強のカードは、「世界」ではなく、「愚者」の「0」のカード」
 なのだとか。

 「愚者」は「何も考えていない愚か者」ではなく、「世界のすべてを知った上で、あえて必要最低限の身の回りの品だけを持って、自由気ままに放浪している者」であり、「ゼロはすべてを含んでいて、なおかつ、すべてから自由な数字」なんだとか。

 「すべてを持つ」のは一見、とても豊かで幸せそうに見える。でも、それって本当に豊かで、幸せなんだろうか?

 欲しいものを次々に買って、部屋が品物でいっぱいになったら、かえって快適な生活スペースがなくなってしまう。溢れ返った荷物の山の下には、ゴミ同然のものもたくさんあるに違いない。宝物も山になってしまうと、どれが一番大切でどれはあまりいらないのかを選り分けるのさえ大変だ。

 逆に、マザー・テレサのように、
「私に必要なものは、修道服と聖書とロザリオだけ。その日に必要な糧はすべて神が与えてくださる」
 と信じていれば、自分の持ち物はシンプルでありながら、なおかつ世界のすべてのものを手にすることになる。
 それって、もしかすると最高に自由で、楽で、豊か?

 「世界のすべて手にする」ということは、実は「最高の富」ばかりでなく、「凄惨な事件」や「悲惨な災害」や「絶対嫌なこと」をも手にすることになる(だって、「すべて」を手にするのだから)。
 だから、「すべて」で、「全体」でもある「神」って、案外不幸かも?!
 それよりは、「部分」で、「嫌なものは嫌」と拒否でき、必要なものだけを持てる「人」の方がもしかすると幸せかもしれない。

 せっかく「部分」である「人」として生きるなら、それを有効活用して、自分の好きなものだけで人生を満たす方がいい。
 でも、マザー・テレサにとって必須アイテムだった「修道服、聖書、ロザリオ」が、万人にとって必要とは限らない。

 小説家にとって必要なものは「想像力」かもしれないし、鉄道オタクに必要なのは「電車」で、さかなクンに必要なのは「魚」で、弁慶に必要なのは「主君と忠義」、静御前に必要なのは「義経と舞」、義経に必要なのは「兄頼朝」、頼朝に必要なのは「天下」…かもしれない。

 でも、案外、普通の人にとって、
 「何が自分の人生にとって、一番大切か」
 は、とてもわかりにくい。

 だから、いろいろな体験をして、「世界」のあらゆるものを、手にしては、手放し、手にしては手放し…と繰り返す中で、ふるいにかけられ、切磋琢磨され、最後の最後にどうしても手放せなかったもの…自分の中に残ったものが、自分にとって一番大切なものなのだろう。

 でもまあ、ディズニーランドに行っても、たいがいの人はパークを歩くだけで満足せず、アトラクションを片っ端から体験しまくって、たくさんの土産物を買う。
「ディズニーランドで、何が一番面白かった?」
 と聞いたら、
「あれも、これも、怖いのも、ファンタジーなのも全部! 一番なんて、決められない! 」
 と答える人の方が多いに違いない。
…ってことは、だいたいの人は良いも悪いも欲張った人生を歩きたがるものなのかもね。
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