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猛獣ちゃんと天使ちゃん
2008 / 07 / 22 ( Tue )
小学校に入る前くらいまで、私はトロくてドジで、ものすごーーい怖がりのさびしがり屋だった。
スーパーへ買い物に行った時など、親から、
「ちょっとの間、ここで待っていて」
と一人にされると、
「このまま置き去りにされて、一生会えなくなるかもしれない!」
という言い知れぬ恐怖に襲われて、場所柄も周りの状況も考えず、泣き叫び暴れまくったものだ。そんな私を育てるのは、親も容易ではなかったに違いない。

人は生まれる前に、自分の人生設計を選ぶと同時に、
「私の「肉体」はこのくらいの感情を感じることにしよう」
と、「感情に反応する音叉の数をどのくらい持つか」も選ぶのだろう。

たぶん、私は相当欲張って、世の中のありとあらゆる感情の音叉を「肉体」に備え持って生まれてきたに違いない。
だからこそ、精神的な地獄から抜け出せないでいる人たちの悲しみ、怒り、絶望感、厭世感、狂気、孤独感…などの感情を我がことのように感じられる。でも、それは一歩間違えると、自分も同じ状態になりうる可能性を秘めているということでもある。
だからこそ、そうした感情すべてに適切な対応ができる力が必要で、こういう仕事を選んだのだろう。

ただ、いろいろな経験と知恵を重ねて「すべてを受け入れる方法」を理解しても、365日24時間、神のようにすべてを受け入れて穏やかな心で生きられるわけじゃない。
なぜなら、「肉体」を持っている間は、必ず感情の音叉が鳴るからだ。

最近、ふと、牧野先生がイラストを描いて下さった「天使…」の本を眺めながら、
「プラス感情、マイナス感情を「天使」と「猛獣」にたとえて書いたけれど、「天使」って、自分の中の「神」とか、「すべてのものと一つに繋がる部分」の象徴でもあるのかも…。そして、「猛獣」というのは、「私」という固有の特徴を持った「この世での乗り物(肉体)」の象徴だったのかなあ」
なんて思う。

私の猛獣さんは、「トロくて、ドジで、ものすごい怖がりで、怒りんぼで、寂しがり屋で、根暗で、狂気を抱えていて、厭世的で、誰かが側にいて守っていてくれないと、絶対に生きていけない弱虫」だ。
だけど、とってもかわいくて愛おしい。

そんな猛獣ちゃんをもっとかわいがるには、ブルーな気分になった時は、
「大きな図体をした弱虫の猛獣さんがびーびー、わんわん泣いて、暴れている横に、ちっちゃい天使の私が黙って寄り添って、一緒に夕日が沈むのを見て、星空を見て、夜が明けるのを見る。猛獣さんの泣き声が、ひっくひっく…くらいになってきたら、天使ちゃんが「一緒に行こうか!」と声をかける…」
と想像するのが、私には一番向いている気がする。

 このやり方だと、がんばって無理矢理心を奮い立たせたときのように、元気で明るく、雄々しく、立派な気持ちにまではアップしないし、悲しみ、苦しみ、寂しさ…は消えてなくなるわけじゃないのだけれど、
「ま、いっか。だって、猛獣さんは泣きたいし、暴れたいんだもんね(笑)?」
と思える感じが、すごくラクチンだ。

 生きている限り「人間」だから、「神」「仏」「天使」オンリーにはなれないし、ならないからこそ、人生は面白いのかもしれない。
人生って、自分の中の猛獣ちゃんと天使ちゃんが、一緒に泣いたり笑ったり、時にはけんかしながらも、いつも手をつないで歩ければ、花丸なのかもね。
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